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証言 記憶を受け継ぐ

『記憶を受け継ぐ』 砂川忍さん―光と爆風 家の下敷きに

砂川忍(すなかわ・しのぶ)さん(83)=広島市南区

御幸橋で母と再会。ぼろぼろ涙が流れた

 原爆が落とされた翌日、砂川忍さん(83)は、御幸橋東詰め南側の土手(現広島市南区)で途方(とほう)に暮れていました。「忍か?」。母コメさんが見つけてくれました。互(たが)いに死んだと思っていた母との再会。言葉が出ず、ただぼろぼろ涙が流れました。今も現地に立つと、あの日の記憶がよみがえります。

 当時12歳。県立広島工業学校(現県立広島工業高)1年生でした。自宅の農作業を手伝うため倉橋島村(現呉市)に帰っていましたが、学校の建物疎開(そかい)作業に合わせて1945年8月5日、母と広島市内に出てきました。おなかが痛かったので、千田町(現中区)に住む母の友人の佐伯武夫さん宅で休ませてもらうことに。夕方、熊野町へ米を買い出しに行く母を見送った後、吉島本町(同)にあった学校の寄宿舎には帰らず、そのまま佐伯さんの家に泊まりました。

 翌6日朝、薬を飲むため台所に立つと、B29爆撃(ばくげき)機の音が聞こえます。「空襲(くうしゅう)警報が出ていないのにどうして」。外で建物疎開作業をしていた大人たちに尋(たず)ねると、「ラジオつけて聞いてみいや」。そう言われ、別の部屋に入った瞬間(しゅんかん)、赤や青など多くの色の光と爆風に襲(おそ)われました。

 爆心地から約1・7キロ。家の前のイチジクの葉が、ちりちりと縮みます。「危ない」。とっさに目と耳を押さえかがみましたが、崩(くず)れた家の下敷(じ)きに。手足は全く動きません。約7時間後、近所の大人たちに助け出された時、市街地はものすごい煙に包まれていました。佐伯さん家族と御幸橋へ逃(に)げました。

 たどり着くと、いったん帰宅したはずの県立広島第一中(現国泰寺高)1年の佐伯さんの長男の姿が見当たりません。大人たちと、救護所の陸軍工兵隊の倉庫(現南区)へ捜(さが)しに行きました。倉庫内にいた人を確かめながら、「水をください」と言われては、ぬらした脱脂綿(だっしめん)を口に当てました。結局見つからず、その夜は御幸橋の東詰め南側の土手に。橋の北側にあった専売局が燃えるのを見ながら、寝るともなく夜を明かしました。長男の行方は分からないままです。

 御幸橋は、上も下もけが人や遺体でいっぱい。トラックに「荷物」のようにどんどん積み込まれる光景は、とても悲惨(ひさん)です。「お母さんに会いたい。島に帰りたい」。心細く思っていた頃、母と再会したのです。7日に熊野町から広島駅に戻った母は、道にうつぶせで転がった人をひっくり返しては、息子かどうか確かめてきたそうです。翌8日、一緒(いっしょ)に倉橋島村に帰りました。

 同級生の多くは、中島新町(現中区)で建物疎開作業中に被爆し、亡くなりました。戦後は建築を学び、53年から広島市役所に勤めました。心掛けたのは、みんなが使いやすい建物造り。安佐北、安佐南両区役所などを設計しました。よい公共施設(しせつ)を造ることで、街が「裕福(ゆうふく)」になるよう望んでいました。

 今年5月27日、オバマ米大統領が平和記念公園(中区)を訪れた時はテレビ中継(ちゅうけい)をずっと見続けました。「米国が憎(にく)いわけじゃないが、原爆投下には絶対反対。ただ、みんな考え方は違(ちが)う。今の若者には、人から言われるのではなく、平和のため自分たちに何ができるか考えてほしい」。あの悲しさや苦労を、次世代が味わうことがないよう願っています。(山本祐司)

私たち10代の感想

心通えば憎しみ消える

 被爆後、米国に良い感情を持てなかった砂川さん。平和記念公園で証言した時、ある米国人夫婦に「つらい思いをさせてごめんなさい」と言われ、うれしかったそうです。戦争は憎(にく)しみを生みます。しかし思いやりの心が互(たが)いに通じれば、憎しみは消えるはずです。思いやりは平和につながる第一歩だと感じました。(中2斉藤幸歩)

私にできること考える

 平和のため私たちができることは何でしょう。砂川さんに尋(たず)ねると、「考えるのは自分自身」と言われました。いま私は取材して記事を書いています。しかしジュニアライター卒業後、何をするかまでは考えていませんでした。主役は自分だと教わり、戸惑(とまど)いもありますが、しっかり答えを出さなければと思いました。(中2目黒美貴)

原爆の恐ろしさを理解

 被爆後、家の下敷きから助け出され、母と再会した砂川さんの証言を聴(き)けて、「幸せ」に感じました。なぜなら、想像できないほど苦しい経験を砂川さんが乗り越えて話してくれたおかげで、原爆と戦争の恐ろしさを理解することができたからです。誰もが同じ経験をせず幸せといえる未来をつくりたいです。(中3川岸言統)

(2016年6月6日朝刊掲載)

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