×

連載・特集

グレーゾーン 低線量被曝の影響 第5部 科学者の模索 <5> 被爆の実態 矛盾に迫る

 爆心地から2キロ離れた場所で被爆した人でも、脱毛などの急性症状を経験している。被曝(ひばく)線量が10ミリシーベルト以下とわずかでも、後に疲労や体のだるさに苦しんだ人がいる。「直接浴びた放射線だけではない、別の要素が絡んでいるはずだ」。広島大の星正治名誉教授(放射線生物・物理学)は指摘する。

ギャップ追究

 広島と長崎の被爆者や、旧ソ連最大のセミパラチンスク核実験場(現カザフスタン)の周辺住民が健康被害に苦しむ実態と、科学の到達点。その間に横たわる「ギャップ」を長年追究してきた。今、広島大やカザフの大学教授らと新たな実験に力を注いでいる。

 原爆では、放射線、特に大量放出されたガンマ線を直接浴びた「外部被曝」の影響が重視されてきた。しかし星氏は疑問を投げかける。放射能を帯びたほこりや微粒子を口や鼻から取り込む「内部被曝」の影響の方が、考えられているよりはるかに深刻ではないか。

 着目したのが、当時の木造家屋で普通に使われていた土壁だった。土は二酸化マンガンを豊富に含む、というのがポイントだ。

 原爆がさく裂した時、マンガンに中性子が当たって放射能を帯びる。同時に、ほこり状になって爆風で巻き上げられる。マンガンは、物質を突き抜ける力がガンマ線より弱いベータ線を出す。もし体内でベータ線が放出されれば、届く範囲は狭いが、局所的に比較的大きな影響を及ぼす。

 ただ、マンガンの半減期はわずか2・6時間。「痕跡」は1日たてばほぼ見えなくなる。注目されてこなかった一因でもある。

 星氏たちは、原爆投下直後の爆心地で何が起きたかを再現する動物実験をカザフスタンで重ねている。中性子を浴びせて放射化させたマンガンの粉末を、ラットを入れた密閉空間に噴射。解剖して内部被曝線量や内臓の状態を確認し、運動量の変化から「だるさ」の兆候も確かめている。

集大成の実験

 その結果、外部被曝線量が最大5・75ミリグレイでも、肺の内部被曝は最高100ミリグレイに達していた。内臓のダメージも明らかで、そもそも低線量被曝とはいえない可能性すらある。「ガンマ線と外部被曝」だけではなく、「ベータ線と内部被曝」も見極めないと全体像は描けない―。「ほんの一端だが、見えてきたかな」と星氏は話す。

 半減期が極端に短い放射性物質に着目した背景には、広島大の元同僚、大瀧慈名誉教授(計量生物学)たちの研究がある。原爆投下の直後から翌日にかけて爆心地近くに入った人たちの死亡率が高いことを疫学調査から明らかにした。

 「直接被曝だけでは、説明できないことが多い」。原爆投下から71年を経てもなお残る被爆者研究の「空白」。それを埋める試みは科学界が蓄積してきた「常識」への挑戦にも映る。星氏にとっては、今回の実験は研究者人生の集大成でもある。だが、低線量被曝という謎を解く模索は道半ばだ。(金崎由美)=第5部おわり

(2016年7月30日朝刊掲載)

年別アーカイブ