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社説・コラム

広島・長束修道院 被爆後 救護所に 当時をしのび7日から集い

旧修練院は黙想の館 ここに立てば平和を祈らずにいられない

 カトリックの男子修道会であるイエズス会が運営する長束修道院(広島市安佐南区)は、被爆建物の旧修練院を活用し、黙想会などを一般向けに開いている。神とのつながりを感じ、自分の内面に思いを巡らせる場。原爆投下後に約100人の被爆者を救護した先輩聖職者の姿勢を胸に刻み、一人一人の心の平穏から平和な世界を築こうと神父たちは願う。昨年始めた、世界平和を祈る集いをことしも7~15日に営む。(桜井邦彦)

 「飲み物や食べ物、家族、友達…。当たり前と思うものもありがたさに気づけば感謝でいっぱいになる」。不定期に開く日帰り黙想会で6月下旬、インド出身のバリカマカル・アレキサンダー神父(59)が、目を閉じて静かに祈る参加者約40人に語りかけた。「一人一人が平和な心になれば、皆が幸せになれる。最も必要なのは、あらゆる人と仲良く生きられる、清く正しい心」と説いた。

車座で語らう会

 会場は木造3階建ての旧修練院1階にある畳敷きの聖堂だ。オルガンに合わせて賛美歌を歌うなどした。午後は、車座で黙想会の感想や日頃の悩みを話し合い、円をつくるように手をつないだ。

 廿日市市のパート高井吉支子さん(59)は「そよ風に揺れるササの音、虫の鳴き声だけが響く静かな空間で神様に包まれ、自分を見つめ直せる」、広島市西区の無職志岐徳子さん(46)は「ストレスを感じると、ここに来たくなる。忙しい日常から離れられ、身を置くだけで安心感がある」と黙想会の意味を話す。

 旧修練院は1938年、イエズス会の修道者養成のため建てられた。修練院の機能は2005年に東京へ移転。近年は「黙想の家」「西日本霊性センター」と呼ばれ、一般向けの黙想会などに力を入れる。イエズス会のこうしたセンターは広島を含めて全国に4カ所ある。

神父の献身 今に

 長束修道院での取り組みは黙想会のほか、ヨガ教室もある。重視しているのは平和への祈りだ。塩谷恵策神父(76)は「被爆者の苦しみや祈りが、黙想の家の壁や天井にしみ込んでいる。この場に立つ時、核兵器廃絶と平和な世界を願わずにはいられない」と力説する。

 旧修練院は爆心地の北約4・5キロにあり、原爆で南側の窓ガラスは割れ、北側の屋根瓦が落ちたという。当時10人余りいた神父や修練者は全員無事で、やけどを負って逃げてきた被爆者を受け入れた。院長だった故ペドロ・アルペ神父は、翌8月7日朝のミサの様子を「彼らは皆、苦痛と絶望のまなざしで私の方を注視していた」と後に語っている。

 医学的な見識のあったアルペ神父を中心に翌年春まで、聖職者が分担して介護に当たった。「アルペ神父たちの献身的な奉仕の精神は、われわれの模範」と塩谷神父。長束修道院には現在、神父6人、修道士1人が住み込んで、ミサや黙想会などを通じて平和への祈りを広めている。

 世界平和を祈る集いは各日午前6時から7時半までと午後6時から7時半まで。朝は沈黙での祈りとミサ、夜はろうそくをともした聖堂で聖書を朗読して賛美歌を歌う。

 「被爆地の広島は世界中の人々に道を示す力がある」と、集いを提案したアレキサンダー神父。「近年も世界各地で戦争や争いが絶えない。誘惑や欲望、名誉と改めるべきは自分たちの心の中。一人一人の心が穏やかであれば、争いや戦争がなくなるはず」と願う。

(2016年8月1日朝刊掲載)

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