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連載・特集

緑地帯 ベルリン―ヒロシマ通信 柿木伸之 <1>

 ベルリンには、多くの川が流れる広島を思い出させるところがある。シュプレー川と、それに通じる幾つもの運河が走る街角には、お好み焼きと同じく、戦後の街の歴史を色濃く映す食べ物―復興期に生まれたカリーヴルスト(ソーセージ料理)やトルコからの移民が始めたデナー・ケバブ(炙(あぶ)り肉料理)―の店が立ち並んでいる。そこには、生存の場をドイツに求めた難民を含め、実にさまざまな人々が共に暮らしている。

 ベルリンと広島は、外面的に似通っているだけではない。両者の間には歴史的な結び付きがある。71年前の8月6日に広島の上空で原子爆弾を炸裂(さくれつ)させたウランの核分裂の現象は、1938年の末にベルリンのダーレムにあるカイザー・ヴィルヘルム化学研究所で発見されている。普段、研究に使っているベルリン自由大の文献学図書館が、かつてこの研究所があった場所の目と鼻の先にあることをベルリンに来てから知ったが、これには因縁めいたものを感じないではいられない。

 現在、在外研究の機会を得てベルリンに滞在している。目的の一つは、この地に生まれ、20世紀の前半に文筆家として活動したヴァルター・ベンヤミンの思想の研究を深めることである。とりわけ彼の歴史についての思考を検討することは、ベルリンと広島を結んで今も続く核の歴史に立ち向かいながら、生き残る場を開く「もうひとつの歴史」を構想することに結び付き得ると考えている。(かきぎ・のぶゆき 広島市立大准教授=広島市)

(2016年8月30日朝刊掲載)

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