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連載・特集

緑地帯 ベルリン―ヒロシマ通信 柿木伸之 <2>

 ベルリン中心部から電車で南西へ向かうと、半時間足らずでポツダムの市域に入る。ポツダム宣言に結び付いた連合国首脳の会談の場となったこの古い街は、当時の米大統領ハリー・S・トルーマンが原子爆弾の実験成功の知らせを受け、投下に至らしめた場所でもある。トルーマンが滞在したグリーブニツ湖畔の邸宅の前の小さな広場には今、広島と長崎の原爆犠牲者を追悼するモニュメントが置かれている。

 その設置に心血を注いだ日本の科学者がいる。ベルリン工科大などで高分子物理化学を講じていた外林秀人。彼は広島で被爆した後、フンボルト財団の奨学生として渡独し、核の歴史の原点とも言うべきダーレムにあるマックス・プランク協会のフリッツ・ハーバー研究所で学究を重ねた。広島市出身で現在世界的に活躍している作曲家の細川俊夫がベルリンに留学していた頃、彼を支えた人物でもある。外林は教職を退いた後、自身の被爆体験を証言する活動を始め、先に触れたモニュメントの設置に力を尽くした。

 外林の意志も込められたモニュメントの造形は、彫刻家の藤原信の手による。水平方向へぐっと延びる大きな石を用いた造形は、広島と長崎の被爆以来、人々の苦悩を無数に積み重ねながら、核の歴史が今なお続いていることを象徴しているように見えた。

 それを前にして、生きとし生けるものが核の脅威に晒(さら)されている現在を見据えながら、生きること自体をその可能性へ向けて問う哲学の課題を顧みないわけにはいかなかった。(広島市立大准教授=広島市)

(2016年8月31日朝刊掲載)

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