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大尉の遺族に銅板返還 旧日本陸軍南海支隊の中隊「高森部隊」 パプアニューギニアで入手

 第2次世界大戦で南太平洋のパプアニューギニアに赴いた旧日本陸軍南海支隊の中隊名「高森部隊」と記された銅板が、現地で戦死した高森八郎大尉の遺族に戻った。福山市の陸軍歩兵第41連隊も加わった南海支隊の戦友遺族会が現地で入手。福山市の備後護国神社で返還式をした。(衣川圭)

 銅板は縦10センチ、横25センチ。白字で書かれ、自転車に付けるプレートとみられる。戦友遺族会が2年前に、高森部隊が壕(ごう)造りに携わった激戦の陣地跡で見つけ、ことし7月の慰霊の旅で、現地の人から手に入れた。

 高森大尉は滋賀県米原市の出身で、1943年1月に迫撃砲の直撃を受け、32歳で亡くなった。返還式では、慰霊の旅に参加した41連隊員の遺族が、高森大尉の兄の孫に当たる慶司さん(65)=米原市=に銅板を渡した。

 滋賀県遺族会を通じて8月に銅板の帰国を知った慶司さん。「遺骨も帰らない中、大叔父が七十数年ぶりに祖国の地を踏めた思いがする」と涙した。

 戦友遺族会福山支部の大田祐介支部長は「戦争の過ちを繰り返さないために、南方での激戦で多くの人が亡くなったことを知ってほしい」と話した。

旧日本陸軍南海支隊
 歩兵第144連隊(高知市)や歩兵第41連隊(福山市)などで編成。当時の東部ニューギニア(現パプアニューギニア)で、飢えや病気に苦しみながら、米国とオーストラリアの連合軍と戦い、壊滅した。高森八郎大尉は、工兵第55連隊(香川県善通寺市)第1中隊を率いた。

(2016年9月23日朝刊掲載)

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