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[Peaceあすへのバトン] 平和文化村スタッフ・近藤亮一さん 自給自足 命を見つめる

 「核兵器廃絶」と訴えるわけでも、署名活動をしているわけでもありません。向き合うのは、畑。自分たちが食べる物は、自分たちで作ろうというスタンスで暮らしています。その結果、世界のどこかから資源を「奪う」行為がなくなれば…。平和につながる第一歩だと思い取り組んでいます。

 今年3月まで、発展途上国から農村のリーダーを受け入れ、農業研修する学校法人アジア学院(栃木県那須塩原市)でボランティアスタッフとして働いていました。運営に充てる寄付を集めたり、ゲストを迎えたりする仕事をしました。

 昨年10月、講師として訪れた前広島平和文化センター理事長のスティーブン・リーパーさん(68)から、自ら手掛ける「平和文化村」の構想を聴きました。エネルギーをあまり使わず田舎暮らしをすることで、石油や食料を巡る争いに歯止めをかける目的に、魅力を感じました。

 以前から、世界にある不均衡に関心を持っていました。きっかけは大学2年の時。ベトナム戦争で米国が散布した枯れ葉剤の影響を受けた子どもと、現地で交流するボランティアに参加したことです。特に平和教育を受けたことのない自分にとって、初めて戦争を身近に感じる経験になり、困っている人に目を向ける機会になりました。

 リーパーさんから「来ないか」と誘いを受けた時、心が動きました。被爆地広島で始めることで、他の地域にも広がるのではないかとも期待しました。実際に見学した後、両親の反対を振り切り、今年4月、アジア学院の生徒だった山辺温子さん(27)と移りました。

 最初は「こんなに田舎なのか」と驚きましたが、活動拠点になる古民家の掃除から地道に始めました。畑を手入れし、今ではナスや黒豆、カボチャなど約30種類を育てています。米も初めて収穫。ただ、全体的に量が少ないのが課題です。

 目の前の生活を切り開くことで一生懸命でしたが、7月にリーパーさんの案内で広島市中区の平和記念公園と原爆資料館を見学しました。村をつくる背景には、リーパーさんが被爆者から聴いた悲惨な体験が根本で関わっています。自分たちの行動が、平和につながっていると感じました。

 食を通して、その向こうにある命を見つめたいと考えています。1日だけ来る人も短期滞在する人も受け入れて、出してもらったアイデアを基に、村の形をつくっていきます。持続できる生活を続け、「平和」を実践するモデルになることが目標です。(山本祐司、写真も)

  こんどう・りょういち
 神奈川県平塚市出身。立教大を卒業後、大手コンピューター関連企業で4年間、営業職として勤務。栃木県那須塩原市のアジア学院で1年間ボランティアを経験し、今年4月から三次市の平和文化村に住む。

(2016年11月15日朝刊掲載)

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