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米寿の市女生 元気に再会 広島 卒業生ら19人 思い出話

 広島に原爆が落とされた時、広島市立第一高等女学校(現舟入高)4年生で、翌年の1946年3月に卒業した生徒たちが、広島市中区のホテルで同期の米寿会を開いた。

 広島、東広島、廿日市の3市から19人が集まった。同期会の掛井千幸会長(87)が「戦中戦後につらい思いをした分、内容の濃い米寿となりました。皆さんでお祝いしましょう」とあいさつ。同校の校歌や「ふるさと」に加え、広島東洋カープの25年ぶりのリーグ優勝を祝って「それ行けカープ」を歌った。

 戦時中、自宅から学校へミシンを持ち寄って、陸軍被服支廠(ししょう)の仕事として軍服を縫ったり、日本製鋼所に学徒動員されたりした生徒たち。「縫い目がずれとる、って『お直し』させられたよね」「4交代勤務で、いり大豆をおやつに分け合って食べた」など思い出話に花を咲かせた。

 戦後の話では「子どもをおぶって、ねんねこ着て渡船で広島総合球場(現コカ・ウエスト広島スタジアム)に行ったら『乳飲み子を殺す気か』って会場で怒られた」「たる募金を一生懸命やっとった主人は、カープの初優勝も見ずに亡くなった」「25年前は球場に行きよったけど、今年はテレビで優勝見て泣いた」などと盛り上がっていた。

 原爆で、同級生約300人のうち59人が亡くなった。永井達子さん(86)=中区=は「昔の話をすると懐かしい。こうやって皆が元気で会えるのがうれしい」と喜んでいた。(二井理江)

(2016年11月21日朝刊掲載)

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