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連載・特集

人文学の挑戦 蔑視を断つ 朝鮮儒教の価値 再評価

 明治維新を経てアジアでいち早く近代化を果たした日本は、帝国主義政策を取って朝鮮半島などを植民地化した。その過程で形成された近隣国民への蔑視は、戦後の再出発から久しい今も、日本社会に根深く巣くってはいないだろうか。人文学には、そんな課題に向き合う営みもある。(道面雅量)

 「遅すぎた翻訳だが、ようやく一つ宿題を終えた感がある」。島根県立大の井上厚史教授は、同僚の石田徹准教授と共訳し、9月末に刊行した大著「韓国政治思想史」(法政大学出版局)を手に語る。

 著者は、東洋政治思想史の大家で韓国・梨花女子大の朴忠錫(パク・チュンソク)名誉教授。東京大大学院で政治学者の丸山真男に師事し、本書の草稿を1972年、博士論文として書き上げた。丸山は高く評価し、生原稿には丸山が書き込んだ多数のコメントも残っている。

政治思想史を翻訳

 82年に韓国で出版され、版を重ねた名著だが、日本語版の刊行は長く実現しなかった。「韓国の政治思想史となると、朱子学を中心にした朝鮮儒教についての論述が柱になる。朝鮮儒教に対する日本人の関心の低迷が背景にある」と井上教授。朝鮮儒教を専門とする数少ない日本人研究者として「義憤のようなものに駆られて翻訳した」と話す。

 中国・春秋時代の思想家、孔子を祖とする儒教は、朝鮮半島を経て日本に伝わった。江戸時代を中心に、長く政治思想、道徳規範の核であり続けた。西欧の政治思想が席巻する明治以降も、揺り戻しのように再評価される機会があり、孔子らの言行録「論語」は戦後もたびたびブームになった。

 だが、朝鮮儒教については、日本では再評価の蚊帳の外だったといっていい。なぜか。井上教授は「朝鮮儒教は古くさい朱子学にしがみつき、時代遅れの儀礼や厳格さで近代化の障害になったという見方が、あまりに支配的だったから」とみる。儒教を受け渡してくれた「先達」の国が、近代化に「後れた国」という蔑視の対象に転じた過程があるという。

 そうした見方を定着させた学者の代表格が、1903年、日本に併合される前の韓国に渡り、併合後の26年、ソウルの京城帝国大の教授となった高橋亨(1878~1967年)だ。朝鮮儒教を「進歩なし、発展なし」の「化石」と酷評し、朱子学を批判した伊藤仁斎や荻生徂徠といった儒学者を輩出した日本を持ち上げた。

国籍の壁取り払う

 「そこに『帝国的学知』の刻印は拭えない。丁寧に見れば朝鮮儒学は朱子学一辺倒でもないし、さまざまな反証ができる」と井上教授。一方で、「高橋ほど精力的に朝鮮儒教のテキストに向き合い、多くの論考を著した人が、戦後は見当たらないのも確か」。著作が基本文献の扱いを受け続けてきた高橋は、「そびえ立つ壁のような存在」という。

 そんな「壁」に立ち向かうべく井上教授が意識するのは、「研究における国籍や分野の壁をできるだけ取り払う」ことだ。今、編集を進めている朝鮮儒教関連の書籍シリーズでは、日本人研究者だけでなく、在日韓国・朝鮮人の研究者、日本の大学に就職している韓国人研究者らに積極的に声を掛け、参加してもらった。「韓国政治思想史」の邦訳も、思想よりは外交史を主分野とする石田准教授と成し遂げた。

 「朝鮮儒教の価値を公平に見つめることは、今の韓国を読み解く力にもなる」と井上教授。今、朴槿恵(パク・クネ)政権が広範な国民の巨大なデモに揺れているが、朝鮮儒教には、国のトップは「愛民(エミン)(民を愛すること)」の義務を負い、それに反すると見なされたとたん、直接指弾されて当然とする考えがあるという。

 「あのデモのパワーを支えている面もあると思う。私たちは笑って眺めるだけでいいのかどうか」。蔑視に曇らない目は、研究者だけに求められるのではない。

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インタビュー ノンフィクションライター 加藤直樹さん

それぞれの歩み 共感を

 加藤直樹さんの著作「九月、東京の路上で」は、1923年9月1日の関東大震災直後、流言を信じた自警団などにより、多数の朝鮮人や中国人が虐殺された史実をたどる。「ヘイトスピーチ」と呼ばれる差別的な街頭宣伝が首都圏などで頻発したのを背景に一昨年に刊行し、版を重ねる。過去に照らし、今へ警鐘を鳴らす本だ。

  ―個別、具体的な地名と人名で語られる目撃証言などを基に、当時の光景がリアルに浮かび上がる著書ですね。
 史実を「知る」だけでなく、「感じて」ほしいと思った。関東大震災からちょうど90年の2013年9月から、インターネットのブログにつづった記事をまとめた本。元のブログでは、例えば、90年前の9月2日午前5時に東京・荒川の旧四ツ木橋付近にどんな光景が出現したかを、13年9月2日午前5時にネットにアップした。写真を添え、同時中継するイメージで。

 90年前のモノクロ写真は使わず、現地の今の写真を撮ってアップした。今、自分が住んでいるすぐ近所で起きたことなんだ、と実感してほしくて。

  ―取材、執筆の動機は何ですか。
 起点として00年に、当時の石原慎太郎東京都知事が自衛隊の行事で述べた、いわゆる「三国人」発言がある。当時はその用語の差別性に関心が集まったが、私には、同じ発言の中で「不法入国」の「外国人」の犯罪を取り上げて「大きな災害が起きた時には大きな騒じょう事件すら想定される」と首都のトップが述べたことの方が衝撃だった。

 外国人はむしろ災害弱者。関東大震災の時に起きたことと照らし合わせ、とても危険なデマだと直感し、当時の資料をこつこつ集めるようになった。やがて、ヘイトスピーチが身近に頻発し始める。いつ大地震が起きてもおかしくない東京で、暴力的な差別扇動がまかり通っている。これはまずい、今こそ発信すべきだとブログを始めた。

  ―根深い差別はどう形成されたと考えますか。
 近代史を通じ、徐々に形成されたと思う。「アジアで最初に近代化を果たした日本」という特権的な自己意識を持って、朝鮮半島の植民地化など、海外へ勢力を広げていった。その意識は戦後も拭い去られていない。

 今の「嫌韓」「嫌中」本にあふれているのは、相変わらず、韓国も中国も「日本の後を追う国々」という認識。韓国には韓国、中国には中国の歴史が当然あるのに、いつも「日本マイナスα」の国と思っている。それが逆に、追い付かれる怖さ、認めたくない感情につながっている。日本人が日本の歴史にきちんと向き合えていない、ということでもある。

  ―それを克服するために、人文学が果たす役割があるでしょうか。
 人間社会の「進歩」は単一のコースではない。それぞれの国のそれぞれの人々の歩みを発見し、共感することは、まさに人文学の役割と思う。そこに差別を克服する芽があるし、自らの狭い世界観を揺さぶられることは、何より楽しいことではないか。

かとう・なおき
 1967年東京都生まれ。法政大で学び、出版社勤務を経てフリーランスのライター・編集者に。「九月、東京の路上で」に続き、80年代の韓国の民主化闘争を描いたチェ・ギュソク氏の漫画「沸点」の邦訳を手掛けた。

(2016年11月24日朝刊掲載)

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