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連載・特集

緑地帯 記憶のケア 川本隆史 <7>

 私自身の「記憶のケア」にも触れておこう。広島市西区己斐にある私の生家は、1937年に祖父の川本精一が建てたものであり、祖父と祖母・末子は爆心地から3キロ弱のこの家で被爆している。

 51年生まれの私が、座敷の大黒柱に残る無数の傷はピカドンの爆風で飛散したガラス片によるものだと感づいたのは、いくつの頃だったろう。己斐駅前で文具店を開いていた父方の叔母(故・田中芳重)は、夫を原爆で失っている。だが、叔母の戦後の苦労話を耳にした覚えがほとんどない。己斐みどり幼稚園でお世話になった坂本キヨコ先生も夫が被爆死しておられたのに、そのことは2年前のご葬儀の席で初めて聞かされた。

 そんなわが町、己斐の歴史を丹念に掘り起こし、人々の「記憶のケア」をサポートしているのが、「己斐歴史研究会」である。中心メンバーの佐伯晴将さんは、地元の旭山神社の秋祭り恒例の「俵もみ」を先導する「木遣(きや)り」の手ほどきを私の祖父から受けており、祖父の詳細な履歴を教示くださった。今、私の手元には、佐伯さんが手作りされた2冊の資料集―「広島市西区己斐町 聞き書き 子どもの頃の思い出と原爆体験」(2015年8月6日発行)と、「ふるさと己斐誌 資料編(2)ふるさと己斐を記録した資料の総目録―本・手記・絵画・写真・詩歌など」(16年3月19日発行)が置かれている。

 「一人の人間には一つの博物館に匹敵する歴史がある」。こうした佐伯さんの信念を実らせた貴重なドキュメントが、広く閲覧に供されることを望む。(国際基督教大教授=東京都)

(2016年11月25日朝刊掲載)

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