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広島の世界遺産20年 原爆ドームと厳島神社 <3> 破壊の痕跡 保存に苦心

 鳥取県中部で最大震度6弱を観測した10月21日。震度3を記録した広島市中区の市役所にも緊急地震速報のアラームが鳴り響き、市公園整備課の職員2人が原爆ドームへ向かった。「揺れた後は何をおいてもドームの無事を確認しないと」と、堀田稔課長(57)。その時は異常はなく、胸をなで下ろしたが、日本列島で地震が頻発し、緊張は続く。

 ドームは初の耐震補強工事を7月に終えたばかり。震度6弱で倒壊の危険があるれんが壁5カ所のうち、3カ所を内側から鉄骨で支えるが、残る2カ所はそのままだ。「現在の技術では適切な補強方法がない」と堀田課長は説明する。

「免震」採用せず

 ドームの保存は、原爆による破壊の痕跡も含めて残すだけに難しい。大破した文化財の耐震化は国内で前例がない。工法を検討した市の有識者委員会は、地下を掘り返すような免震構造は「尊厳性を損なう」として採用せず、必要最小限の地震対策を推した。

 それでも、今回の工事で現場代理人を務めた清水建設(東京)の山田敏明さん(33)は「重機を使わず、本体を壊さないよう慎重に作業した」と振り返る。壁の穴には原爆で焼け焦げた木が刺さったまま。工事中には、ドームの前身である広島県産業奨励館の遺構が見つかった。ドームに触るのは「あの日」の傷痕に触れることにもなるからだ。

 今でこそ被爆地を象徴するドームではあるが、終戦後しばらくは保存か解体かを巡り、市民の間で意見が割れた。市は1965年に「補強すれば保存可能」との調査結果を示し、翌66年に市議会が「永久保存」を全会一致で決議。ようやく最初の保存工事を終えたのは、被爆22年の67年8月だった。市はドームを被爆100年の2045年まで現状の状態で残す方針だ。

1ミリ単位で記録

 ただ、耐震に加え、過去の保存工事自体が保存上の課題になりつつある。壁の割れ目やれんがの隙間に接着剤として注入したエポキシ樹脂の劣化が進み、剝落する恐れがある。市は来年度以降、新たな補修工法を有識者委に諮り、検討する構えでいる。

 委員の一人で、関西大の西沢英和教授(建築保存工学)は「樹脂を使った補修は大問題。建築当時の素材と工法で補修を重ねていくべきだ」と指摘。さらに、倒壊を防ぐための過剰な補強にも疑問を呈す。「将来の保存を考えるなら、壊れてもすぐに直せる仕組みをつくる方が大切。仮に一部が崩落しても、完全に復元できるだけのデータと技術を蓄積し、伝えなければ」

 市は06年、写真測量したドームの3次元画像をデジタル化。れんがの位置などを1ミリ単位で記録したデータを保有している。保存のための基金残高は9月末時点で1億7千万円。11月には新たに広島東洋カープから1億円が寄せられた。ドームを未来へ確実に残すため、市の責務は増している。(和多正憲)

(2016年12月3日朝刊掲載)

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