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連載・特集

『生きて』 都市・建築研究者 石丸紀興さん(1940年~) <1> 復興史研究

被爆地広島の軌跡追う

 被爆地広島の復興史研究を続ける元広島大教授の石丸紀興(のりおき)さん(75)=広島市南区。都市計画の専門家として、関係者への聞き取りや資料の掘り起こしなどを丹念に進め、まちづくりに生かす多彩な提言を重ねてきた。大学退職後も、自ら研究所を設立し、街と暮らしのありようを問う意欲的な活動に打ち込む。

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 まさに百花繚乱(りょうらん)。それくらい戦後広島の復興計画には、官民多くの人が携わり、さまざまな提案が噴出しました。広島市の復興審議会(1946~48年)の記録を見ても、運河の掘削や広島駅移転、水害に悩むデルタ地帯ゆえに全市埋め立て構想まであった。実現うんぬんは別として、本当に驚かされる。被爆後の衣食住に事欠く中でも、人々の思いや理想は枯れていなかったんだ、と。

 復興史研究のきっかけは、広島大工学部助手になった66年の暮れでした。戦後広島の復興計画に携わった県職員に話を聞いたことから、きちんと調べようと思ったんですが、当時関わっていた広島市の総合計画や交通計画の仕事が忙しかった。これらが一段落した78年、復興関係者へのインタビューから始めました。

 100メートル道路(平和大通り)はどんな考えで計画されたのか。平和記念公園は、河岸緑地は…と。この手の調査は広島では進んでおらず、街の歴史と現実の都市計画をつなぐ研究への関心が膨らんだ。それから40年近く。尽きないテーマです。

 一昨年5月から、広島市の「被爆70年史」編修研究会に参加。来年度の刊行に向け、執筆を担う

 今でも「よくぞ広島はここまで復興した」という感想を聞きます。じゃあ、実態はどうだったのか。これに、きちっと答えたい。

 広島は苦難の道を歩み、努力してきた。その過程で、つらい思いをした被爆者もいる。ところが、現在の街全体を見て、復興の軌跡をくみ取るのは難しい。だからこそ、証言や記録を蓄積し、共有していく必要がある。被爆建物も大切な証人です。

 私も戦争を体験した世代。戦争とどう向き合って生きるのかは、人生の底流にあるように感じています。(この連載は文化部・林淳一郎が担当します)

(2016年12月6日朝刊掲載)

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