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連載・特集

日露首脳会談を前に <5> ロシア兵の供養を続ける元漁業者 君川歌子さん=長門市

戦争犠牲者 悼む機会に

 日露戦争時に日本海海戦で亡くなり、長門市通(かよい)地区の沖に流れ着いたロシア兵の遺体を引き揚げた話を、祖父に聞いて育った。

 祖父は1905年、オオバイワシ漁の途中、波間に浮かぶ兵士を見つけた。1人では抱えられず、「あした来るけえの」と声を掛け、翌日漁師仲間と一緒に引き揚げたという。「海で死んだ人は、この人なら助けてくれるという人にだけ姿を見せる」「死んだ人にも魂が残っている」―。祖父はそう繰り返した。

 当時、通地区の大越の浜には何人もの遺体が流れ着いたと聞く。日露戦争のさなか、仲間と一緒に浜で石を積み上げて墓を一人一人に造ったのも、国籍にかかわらず弔おうとした祖父の優しさからだろう。

 地元老人会が寄付を募り、68年、ロシア兵の墓を造った。日露戦争でロシア軍に撃沈された大型貨物船「常陸丸(ひたちまる)」の乗組員の墓も並ぶ。

 常陸丸が撃沈された6月15日に毎年、地区では日露双方の兵士の慰霊祭を開いている。それとは別に、祖父が遺体を引き揚げた縁から、夫と毎年の盆に墓参りと掃除を続けてきた。

 長門市での日ロ首脳会談が決まり、長年墓を大事にしてきてよかったと感慨深い。プーチン大統領にもぜひ通を訪れて、悲しい戦争の犠牲になった両国の兵士を悼んでほしい。

 通地区には、江戸時代初期から明治時代末期まで続いた「古式捕鯨」で捕ったクジラをまつる国指定史跡の「鯨墓」もある。

 海に囲まれた通には、クジラや、海で亡くなり漂着した「無縁仏」を弔う風習があった。思いやりの心が通の宝。会談決定後に招かれた通小の授業でも、子どもたちに身近な人への優しさが世界平和につながると伝えた。

 地域住民でつくる通まちづくり協議会は会談を機に、「世界の平和はこのまちから」とのキャッチフレーズを作った。

 世界ではテロが相次ぎ、領土を巡る争いも絶えない。私も幼い頃戦争を体験した。戦争が長引いていたら、夫も徴兵されていただろう。息子夫婦と暮らし、孫に会える今の幸せはなかったかもしれない。

 日本とロシアの間には北方領土問題という大きな課題が横たわる。それでも、ロシア兵の墓を長く大事にしてきた地域があると知ってもらい、友好につながればうれしい。首脳会談の当日は海外メディアも長門市に多く訪れると聞く。この通から、平和を発信していきたい。(原未緒)=おわり

きみがわ・うたこ
 長門市通生まれ。中学を卒業した翌年の1953年、夫行弘さん(83)と結婚。共に漁業を続け、3年前に引退した。地域の女性会「一三(ひとみ)会」に所属し、地区の花壇の整備などボランティア活動に励む。

日露兵士の墓
 長門市通地区の通小近くの「大越の浜」にある、日露戦争で犠牲になった兵士の二つの墓。1904年6月、中国への途上で撃沈された大型貨客船「常陸丸(ひたちまる)」に乗っていた日本兵の墓と、翌5月に日本海海戦で戦死、漂着したロシア兵の墓。常陸丸の墓は21年に、ロシア兵の墓は68年に住民たちが建てた。同年以降、毎年6月に地域住民が合同慰霊祭を催す。

(2016年12月10日朝刊掲載)

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