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連載・特集

『生きて』 都市・建築研究者 石丸紀興さん(1940年~) <6> 周防灘開発問題

海岸保全へ行動起こす

 真っ赤な汚水でした。工場から海へ流れ出てね。1971、72年に取り組んだ瀬戸内海の海岸線利用調査で見た光景です。こんなのもう、めちゃくちゃだと思いました。

  高度経済成長期、全国で起きた公害問題に、都市計画の研究者として向き合っていく
 化学者は大気汚染、水質汚染がどうとかやっている。われわれに何ができるか。気になったのが、瀬戸内海で相次ぐ工場用地などの埋め立て。無造作にやれば汚染源を増やしかねない。自然海岸を一定に残すべきじゃないかと言うにも、まずは実態調査が要ると考えたんです。

 当時は広島大工学部の助手。学生と車で四国北岸や山陽沿岸、九州東岸を回った。数泊しながら5回くらいに分けて。海岸の現状を調べ、役場などで埋め立て計画を聞いて地図に書き込んだ。

 その中で、国が構想する周防灘総合開発があった。福岡、大分、山口県の沿岸6万ヘクタール近くを埋め立てる、すさまじい計画でした。

  72年4月末、1通の手紙を書いた。送り先は、大分県中津市の松下竜一氏。歌集「豆腐屋の四季」でデビュー後、反公害・反開発のノンフィクションを発表し始めていた
 確か、公害を追及する松下さんの新聞投書を見たのがきっかけ。手紙では、周防灘開発を巡るシンポジウムを開けないか、と。その後、松下さんが広島に来てくれて、2人で飲みに行った。あの頃は私もそんなにしゃべる方じゃない。互いにぼそぼそとね。でも、このまま放ってはおけん、と意気投合しました。

 ところが、6月のシンポ直前、開催地の中津で「石丸は住民運動の破壊分子」と疑われた。運動の主導権争いだと思う。結局、松下さんが強行開催し、大勢の市民が集まった。皆、計画に驚くんです。潮干狩りや海水浴ができなくなるかもしれず、景観もがらっと変わるわけだから。

  73年、国は周防灘総合開発を断念する
 松下さんたちは、その後も豊前(ぶぜん)火力発電所(福岡県)の建設反対運動を展開します。訴訟になり、私も裁判の傍聴や集会に行った。付き合う中で私も多く気付かされました。

(2016年12月13日朝刊掲載)

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