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連載・特集

『生きて』 都市・建築研究者 石丸紀興さん(1940年~) <8> 住民参加方式

まちづくりへ議論徹底

  1971年、広島市周辺部整備基本計画の策定に携わる
 市から委託されて、中四国都市学会の私を含めた8人と、市職員1人とで策定グループをつくって始めました。旧市内の己斐や戸坂、中山、青崎など12地区が対象。市中心部に比べ、周辺部の整備計画は手薄になりがちで、それを全体的な計画にしてほしいという要望でした。

 期間は1年間。市は図版1枚入りの計画書くらいを考えていたようですが、それじゃ駄目だと思った。そこで、地区ごとに住民とまちづくりを議論する方式で進めました。今ならワークショップというやつです。

 議論も2種類あって、一つは委員会方式。連合町内会長たちが委員になって話し合う。もう一つが、考える会方式。新聞の折り込みで住民に広く呼び掛け、公民館や学校、お寺に集まってもらう。もっと、じかの意見が聞きたかった。でも、これはエネルギーが要ります。雨が降るとあふれる小川の対策とか、バイパス構想とか、延々と議論して。地区ごとに何回か開くんだけど、来る人が変わる。前回決めたことが蒸し返されることもたびたびでした。

  1年間で議論を終えたのは4地区ほど。次年度も続け、話し合いは12地区で計50回を数えた
 アンケートで多数決をしても住民参加じゃない、という考えに私は到達したんです。顔を合わせ、計画に必要な調査や原案作りはどうしましょうかと聞くと、たいてい「おまえらがやれ」となる。たたき台を示して、徹底的に議論し、批判を恐れず、疑問に答えていく。最後まで納得してくれない住民もいるけど、それくらい誠意を持って取り組まないと、本当のまちづくりとはいえないんじゃないでしょうか。

  73年3月、150ページ余りの計画書を市に提出した
 やり方が嫌がられたのかもしれません。計画書はほぼお蔵入りの扱いで、行政から計画の委託や委員就任の依頼が来なくなりました。それで、私は未提出だった博士論文の執筆に取り掛かり、その後の研究テーマを定めることにしたんです。

(2016年12月15日朝刊掲載)

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