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連載・特集

『生きて』 都市・建築研究者 石丸紀興さん(1940年~) <13> ヤミ市研究

戦後の原点 往時を復元

 私の肌に合ったテーマだなと思いました。1990年ごろから取り組んだ戦後広島のヤミ市研究です。それまで、被爆地の復興を都市計画の面から追ってきましたが、ちょっと視点を変えて市民の暮らしから捉える試みでした。

  敗戦間もなく、広島市内の数カ所に食料や衣類などを露店で売買するヤミ市が現れた
 最大のものが、今のJR広島駅南口側(南区)にあった。しかし、駅前のどの辺りにヤミ市ができ、どんな規模で、どう変遷したのか。資料を探したけど、実態をつかむのが難しかった。そんな時、被爆50年に向けて市が編さんを進めた「図説戦後広島市史 街と暮らしの50年」の調査でオーストラリアを訪ね、成果を得たんです。

 戦後の占領期、呉市に駐留していた英連邦軍の退役軍人が、広島駅前のヤミ市を撮った写真を持っていました。シドニーやメルボルンなどを回ると、46年ごろの写真がかなり集まって。買い出しでごった返す人々が写っていた。活気というか、まさに生きる力を感じました。

 当時の新聞記事なども調べていくと、ヤミ市の変遷を5期に区分できることが分かった。当初は自然発生的に露店が駅前広場に並び、その南側に警察が一時移転させる。そして46年7月に設けられた民衆マーケット―という具合に。マーケットには数棟の長屋のような木造平屋が列を成していて、店舗は最盛期に千店を超えた。こうした調査を基に、復元予想図や模型も作りました。

  被爆50年の95年8月、市などの事業で、民衆マーケットの一部を市内のデパートに原寸大復元した
 金物、かばん、果物、レコードの4店舗です。訪れたおじいちゃん、おばあちゃんは孫に説明して。村山富市首相(当時)も来場しました。

 広島駅前のヤミ市は、52年2月に広島百貨店ができ、ほぼ幕を閉じます。戦災復興はきれいな形ばかりでは進まない。ヤミ市はその原点といえます。今、駅前周辺は再開発事業で様変わりしている。広島の経済復興と駅前地区の源流にあったヤミ市の復元模型を、駅前のどこかに展示してもいいと思うんですがね。

(2016年12月23日朝刊掲載)

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