×

社説・コラム

社説 辺野古工事再開 なぜ沖縄に寄り添わぬ

 これほど急ぐ必要が本当にあるのだろうか。

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古沖への移設を巡り、最高裁で県に勝訴した国はきのう、3月の和解成立で中断していた工事をついに再開した。当面は沖合の立ち入り禁止区域を示すフロート(海上浮具)の設置に向けた作業が中心となるようだ。

 最高裁判決は20日に出たばかりだ。沖縄県民にすれば年末年始ぐらいは心穏やかに迎えたかったに違いない。間を置かない政府の対応は、沖縄との溝をより深めることになろう。

 翁長雄志(おなが・たけし)知事が再開を前に官邸に菅義偉官房長官を訪ね、話し合いの継続を求めたのに対して菅氏は拒んだ。記者会見では「わが国は法治国家だから最高裁の判断に従うのが当然」としたが、埋め立てが法的に可能になったことと実際に工事を進めるかどうかの判断は別である。

 「話し合いもできないようでは大変なことになる」とは翁長知事の弁だ。国は再び見合わせて協議の場を持つべきだ。

 このままなら自然環境への影響が著しく、原状回復が困難となる埋め立ての本体工事が年度内にも着工される。海底岩礁を壊す作業に必要な許可など、知事はあらゆる知事権限を駆使して阻止するという。政府と沖縄が厳しく対立する構図は続く。

 選挙などを通じて示されてきた沖縄の民意は、憲法が保障する民主主義や地方自治の結晶である。問答無用の政府に「銃剣とブルドーザー」で軍用地を接収した米軍統治下と重ねる人もいよう。政府は司法判断を錦の御旗と誇るのではなく、法廷闘争の泥沼に至ったことを謙虚に反省すべきではないか。首相らが口にしてきた「沖縄県民に寄り添う」との誓いが守られているか自問してほしい。

 9カ月半に及ぶ工事の中断期間は本来、沖縄に寄り添うチャンスだったが、むしろ県民との隔たりは広がった感がある。

 辺野古だけではない。大阪府警の機動隊員による「土人」発言もそうだ。北部訓練場のヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)建設現場付近で抗議活動をする人をなじった。これを責めるどころか、鶴保庸介沖縄北方担当相は「差別とは断定できない」とはぐらかした。感覚のまひが政府に広がっているとしたら由々しきことだろう。

 今月になって垂直離着陸輸送機オスプレイの「墜落」事故も象徴的だ。地元の懸念が現実のものになっただけでなく日米地位協定で日本側の警察司法権が制限された。政府は不時着だと矮小(わいしょう)化する米軍の肩を持ち、事故から1週間足らずで飛行再開を容認した。県民ならずとも到底、受け入れられない。

 4月の米軍属による女性暴行殺人事件の記憶も新しい。それを踏まえて、おととい地位協定の「補足協定」が両政府で実質合意された。米側に優先的裁判権を認めてきた米軍属の対象範囲を縮小するが、胸を張るような話なのか。米軍に野放図な運用を認める地位協定の本質は変わらない。これで沖縄県民に寄り添ったと思うようなら困る。

 安倍晋三首相は米ハワイの真珠湾で犠牲者を慰霊する。加えてオバマ大統領と同盟強化を誓うことになろう。しかし71年たっても「戦後」が続く沖縄を置き去りにするのは許されない。

(2016年12月28日朝刊掲載)

年別アーカイブ