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連載・特集

中国地方2016回顧 <下> 歴史・文化財

女子群像 渡来文化の趣 街なかの史跡 どう発信

 年の瀬になって考古学のニュースが相次いだ。いずれも発掘後、出土品を地道に検証しての発見。全国の歴史研究に響く地域発の成果として注目されそうだ。

 鳥取県埋蔵文化財センターは今月中旬、鳥取市の青谷横木遺跡で出土した板片に女子群像が墨描きされていたと発表した。7世紀末~8世紀初頭のものとみられ、女子群像では国宝の高松塚古墳壁画(奈良県)に次いで国内2例目。

 絵は9月、膨大な板片の泥を落とす作業中に発見された。朝鮮半島北部の壁画との類似性が指摘され、山陰に息づいた外来文化に迫る貴重な歴史情報が得られた。

 福山市の御領遺跡の調査も進展した。一昨年、船倉を描いた国内最古の船の絵が確認された弥生期のつぼが、現在の愛媛県製であることが新たにつかめた。

 今月下旬に発表した広島県教育事業団によると、土器片の接合作業の過程で判明。邪馬台国時代の瀬戸内海交易を一段と物語る発見となった。

 10月に国史跡指定された府中市の備後国府跡は、市教委などの35年に及ぶ調査が実を結んだ。奈良―平安期の地方行政府跡。市街地での小まめな発掘は240カ所を超す。街なかに埋もれた史跡の魅力をどう発信していくか。官民が手を携えた取り組みが期待される。

 弥生青銅器の大量出土で知られる荒神谷遺跡(出雲市)と加茂岩倉遺跡(雲南市)。両遺跡の銅鐸(どうたく)各1個が、兵庫県の淡路島で昨年見つかった松帆銅鐸7個のうち2個とそれぞれ同じ鋳型で作られた「兄弟」と分かった。

 出雲と淡路島の弥生人が同じ製作地から入手した可能性が浮かぶ。加茂岩倉遺跡は今年、発見から20年。いまだ謎は多く、究明につなげたい。

 縄文期の日本列島で暴力や戦争による死者の割合はわずか1・8%―。山口大の科学哲学者や岡山大大学院の考古学者が興味深いデータを導いた。成人の人骨約1300点から死因を検証。狩猟採集生活だった当時の営みに迫り、「戦争は人間の本能」とする学説に一石を投じる調査成果として関心を呼ぶ。

 文化財を巡る残念なニュースもあった。三原市の国史跡・三原城跡の堀に大量の電線部品などが不法投棄されていたことが発覚。来年2月から市の築城450年事業も始まるだけに、城下町の美観を守る地域ぐるみの対策が急がれる。

 世界遺産登録から20年の節目を迎えた厳島神社(廿日市市)。国内外からの参拝客に配慮しつつ、平安末期に平清盛が原型を整えたとされる海上社殿群の修理が続く。今秋、清盛の時代を100年ほどさかのぼる木材が2年前に境内で出土していたことも分かった。用途は不明ながら加工痕が残り、神社の奥深い歴史をあらためて感じさせた。

 原爆ドーム(広島市中区)も世界遺産に登録されて20年。各地で地震が頻発する中、初の耐震補強工事が7月まで進められた。

 原爆資料館(同)の本館敷地では、市の発掘調査が大詰めに。10月に現場が公開され、市民ら千人余りが原爆で壊滅した町並み跡と、そこにあった営みに触れた。

 旧軍港の呉市は5月、戦艦大和が沈む東シナ海で潜水調査を実施。撮影した映像などを大和ミュージアムで展示している。米軍による撃沈で乗組員3056人が犠牲になった。70年余り前の戦争の現実にどう向き合うか。私たち一人一人に問われている。(林淳一郎)

(2016年12月29日朝刊掲載)

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