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社説・コラム

天風録 「ハガチー事件とハガティ氏」

 今ならとても想像できまい。外国のVIPが訪問を諦めるほどの激動の戦後史があった。1960年6月15日、新安保条約に反対する国会前のデモ隊と警官隊の衝突で、東大生樺(かんば)美智子さんが命を落とす。時のアイゼンハワー米大統領は訪日を急ぎ中止した▲その5日前に起きたのが、ハガチー事件である。先遣隊として羽田に着いたハガチー報道官の車はデモ隊を前に立ち往生し、米軍ヘリで救出された。しかし条約は自然成立し岸信介首相は退陣する。あの時代を知る諸先輩なら、記憶の奥底にあろう▲それを呼び覚ます名前である。次の駐日米大使はハガティ氏という。英語では同じHagerty。どうやら両氏に縁はなさそうだが▲「知日派」駐日米大使といえば日本人には学者肌のライシャワー氏がつとに知られる。今のケネディ氏も知名度はある。それに引き換え、トランプ氏側近のハガティ氏は「交渉請負人」の評を聞く。こわもてのボスの顔も浮かんで警戒感は拭えまい▲広島にとって、8月6日の式典に参列した駐日米大使は、一挙手一投足を注視したいVIPである。時にはボスとも交渉する気概を持った新大使であることを願って、着任を待つ。

(2017年1月6日朝刊掲載)

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