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畑原基成氏が死去 62歳 山口県議会議長

 山口県議会議長の畑原基成(はたはら・もとなり)氏=自民党、岩国市・和木町選挙区=が8日午前1時半ごろ、急性心不全のため病気療養で入院していた病院で死去した。62歳。岩国市出身。自宅は岩国市錦町広瀬1171の6。通夜は10日午後6時から、葬儀は11日午前11時から岩国市御庄4の110の8、ベルコシティホール岩国で。喪主は長男勇太(ゆうた)氏。後日、お別れの会を開く。

 畑原建設社長、岩国青年会議所理事長を経て1995年に旧山口県錦町長へ就任。99年に当時の県議選玖珂郡選挙区で当選して県議となり、5期目だった。

 県議会では副議長などを歴任し、2015年5月に議長へ就いた。昨年10月25日に慢性硬膜下血腫と診断されたため入院して手術を受け、11月30日に公務へ復帰したが、12月2日から再び休養していた。

 地元の米海兵隊岩国基地(岩国市)を巡って、周辺の地域振興に特に力を注いだ。安倍晋三首相(山口4区)や菅義偉官房長官と携帯電話でやりとりする関係を生かし、山口県を対象にした「5年間で100億円規模」の新たな交付金の創設を要望。防衛省が15年度から予算化した。県議会の「岩国基地問題に関する議員連盟」の会長も務めた。

 議長の職務は当面、地方自治法に基づき塩満久雄副議長(70)=自民党、下関市選挙区=が代行する。(村田拓也)

「大変残念」「柱失った」 畑原山口県議会議長死去 県政界など惜しむ声

 山口県議会議長の畑原基成さんが亡くなった8日、県政界の関係者からは功績をたたえ、突然の訃報に驚く声が相次いだ。岩国市錦町広瀬の自宅には夜、支援者たちとの新年の会合に出席するため県内入りしていた安倍晋三首相(衆院山口4区)が予定を急きょ変更して訪れ、弔意を表した。(村田拓也、松本恭治、折口慎一郎)

 「まだ若かっただけに大変残念だ。県政の発展に大変な功績を残し、岩国の基地の問題でも地元と国の間で大きな力を発揮してもらった」。安倍首相は弔問に先立ち下関市のホテルで取材に応じ、畑原さんの死を悼んだ。

 柳井市出身の故山本繁太郎前知事を支え、病気辞職後の2014年2月の知事選では総務省の官僚だった村岡嗣政知事の擁立にも深く関わった。村岡知事は「大変頼りにしていた。県として大きな痛手で、寂しい気持ちでいっぱいだ」とした。

 地元・岩国市の米海兵隊岩国基地を巡り、地域振興策の充実などを政府に強く求めた。米海軍が今月5日、岩国基地への空母艦載機移転を「ことし後半」に始めると発表したばかりで、手腕に期待する声も大きかった。

 岩国市の福田良彦市長は「畑原さんの尽力で、岩国錦帯橋空港の開港など多くの事業が実現した」。桑原敏幸市議会議長は「官邸と太いパイプがあり、懐の深い人だった。まさかこんなに早く亡くなるとは」と惜しんだ。

 所属する自民党の関係者にも悲しみが広がった。前議長で党県連の柳居俊学会長は「県を支える大きな柱を失った」と落胆。岸信夫外務副大臣(衆院山口2区)は「県政と県東部の発展に誰よりも情熱を傾けた」。北村経夫参院議員(比例)は「県の地方創生に弾みをつけるため、リーダーシップを発揮してほしかった」と語った。

錦の自宅 首相ら弔問

 8日未明に死去した畑原さんの遺体は同日午前8時ごろ、岩国市錦町にある自宅に到着。安倍首相、福田市長のほか、地元住民や支援者らが次々と弔問に訪れ、旧錦町の町長も務めた畑原さんの死を悼んだ。

 畑原さんは1995年5月に旧錦町の町長に就任し1期務めた。町長時代に町総務課長だった同町の田中輝男さん(72)は「町の下水道整備や団地の造成に力を注いだ。はっきり物を言う人で、職員や住民を引っ張ってくれた」と人柄をしのんだ。

 畑原さんは雙津峡(そうづきょう)温泉の開発や道の駅「ピュアラインにしき」の整備など、錦町の観光面でも尽力した。同町文化協会の中村勉前会長(88)は「現在の錦町観光の中核をつくった人。実行力のある人だった」と功績をたたえた。(加田智之)

(2017年1月9日朝刊掲載)

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