×

連載・特集

核なき世界への鍵 現在地 <3> 原爆裁判 国際法違反 司法の結論

 原爆投下は国際法違反―。1963年、東京地裁で確定した「原爆裁判」の判決正本を、日本反核法律家協会は初代会長の松井康浩弁護士(2008年に85歳で死去)から引き継ぐ。三原市佐木島出身で、原告の代理人を務めた。

 「松井先生は核兵器禁止条約の交渉開始に喜びつつ、『遅い』とこぼすかも」。事務局長の大久保賢一弁護士(70)は埼玉県所沢市の事務所で正本を開き、続けた。「核兵器の使用は既に『違法』との司法判断がある。それを前提に、廃絶につなげる条約作りが大切だ」

 「前提に」と強調するのには、訳がある。条約の推進側は、核兵器使用の禁止を明文化した条約がないから作るべきだ、と訴える。それを逆手にとられると、保有国などは、条約を批准しない限り「使用は合法」と言いかねない。先人が得た司法判断に光を当てる必要性が、そこにある。

 原爆裁判の提訴は55年。被爆者を原告に、米国の原爆投下の違法性を訴え、日本政府に損害賠償を求めた。戦後、東京を拠点にした松井さんは、裁判を通じて原水爆禁止を目指す岡本尚一弁護士の呼び掛けに応じて加わり、58年の岡本さんの死後は、主導した。

 松井さんの長男、活さん(63)=東京都練馬区=は「弟の悲惨な体験に駆り立てられたはず」と話す。弟の賢臣さん(07年に81歳で死去)は広島の爆心地から約1キロで下宿先の家屋の下敷きに。後に胃や直腸のがんを患った。

 裁判では、原爆投下直後に米国へ「違法」と抗議した日本政府は一転、「原爆使用を規制する法がなかった」と争う。判決は賠償請求を退けたが、被害の無差別性と放射線後遺症の非人道性がハーグ陸戦条約などの戦時国際法に反するとした。双方控訴しなかった。

 松井さんは判決に廃絶の可能性を見た。「使用すれば国際法に違反する原爆なら、使用を目的として製造することも、実験することも、配備することも、使用のための予備行為として禁止されることは法理論として当然」(86年刊の自著「原爆裁判」)。審理中に国際司法裁判所(ICJ)へ問うことも唱えていた。

 それは約40年後、世界組織の国際反核法律家協会などの運動でかなう。審理で、核実験場に近い太平洋の島国ナウルなどが原爆裁判の判決内容を引いて違法性を主張。ICJは96年に勧告的意見を出し、国家存亡が懸かる事態での自衛目的の場合は違法か合法か判断できないとする一方、核兵器の使用・威嚇を「一般的に国際法違反」とした。

 松井さんは93年、広島市での日本原水協などの原水爆禁止世界大会で「全廃条約要綱」を発表した。前文に「広島・長崎に地獄が出現」とし、開発、使用などの包括的な禁止や、違反の制裁を盛り込んだ。コスタリカが97年に国連に提出した「モデル禁止条約」の参考にされたという。一方、日本政府は戦後、原爆投下を国際法違反と明言していない。昨年は国連で禁止条約の交渉決議に反対した。

 「禁止条約の交渉に反発する国々は、司法の到達点を無視するのか」。大久保弁護士は、原爆裁判とICJの意見を重んじれば、禁止条約は「当然」と確信している。(水川恭輔)

原爆裁判
 広島・長崎の被爆者たち5人が、サンフランシスコ講和条約で米国への賠償請求権を放棄した日本政府に損害賠償を求め、1955年に提訴。判決は原爆投下を、軍事目標以外を攻撃してはならない、不必要な苦痛を与えてはならないという国際法の原則に反するとした。原告の一人で、広島原爆で家族5人を亡くした故下田隆一さんにちなみ「シモダケース」として世界で知られる。

(2017年1月17日朝刊掲載)

年別アーカイブ