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社説・コラム

『今を読む』 広島修道大教授・船津靖 

トランプ米大統領と広島 タブー打破に酔う危うさ

 「翼よ、あれがパリの灯だ」。1927年、大西洋横断の無着陸単独飛行に成功したリンドバーグの自伝だ。詩情ある邦訳のタイトルに、ご記憶の方も多いだろう。一夜にして世界的有名人になった長身の美青年は大衆社会のセレブのはしりである。

 リンドバーグはやがてナチス・ドイツとの親交を深め、白人優越思想に傾く。米国ではヒトラーへの危機感から欧州戦線への介入論が高まるが、彼は「米国第一(アメリカ・ファースト)委員会」で活動し、対独中立を訴えた。

 「核兵器なき世界」の理想を掲げて広島も訪問したオバマ大統領に代わり、トランプ新大統領が就任した。就任演説で連呼したのがこの「アメリカ・ファースト」だ。

 オバマ政権下で失業率は半減した。だがトランプ氏は米国経済の現状を絶望的なほど暗く描き出し、原因はメキシコからの移民や輸入、中国と日本の輸出攻勢、欧州や日韓との同盟コストだと主張。白人労働者層の排外感情をかき立て米国益最優先のアメリカ・ファーストを訴えた。

 「どの国家にも自国の利益を追求する権利がある」と一見もっともらしい言葉で畳みかけた。だが超大国が国益追求のみに走ったら中小国はなすすべがない。演説後、米の保守系学者ですら「国益追求には他国との協力が必要だ」と諭すようにコメントしたのが印象に残った。

 トランプ氏は核兵器の非人道性についても真剣に考えたことはなさそうだ。「なぜ使えないのか」と繰り返し専門家に尋ねたといわれる。

 オバマ氏の広島訪問には「原爆投下への謝罪がない」「言葉だけ」といった批判もある。私は演説の言葉と折り鶴に、米国が広島上空で爆発させた原爆によって殺された人々の苦悶(くもん)に、現職の米大統領という制約の中、できる限り寄り添おうとする誠意を感じた。異国の犠牲者に同情できる感受性は、オバマ氏自身が米国で人種差別を受けてきた経験と無縁ではなかろう。

 トランプ氏は就任演説でイスラム急進主義者を「地表から消し去る」と豪語した。核兵器の使用を連想させる言い回しだ。原爆投下やホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)は、市民の無差別大量殺害の背景に異人種・異教徒への偏見があることを示した。イスラム教徒に偏見を持ち、助言を退け、タブーを破る自分に陶酔するトランプ大統領が戦術核兵器使用に踏み切る恐れを否定できない。

 脅しが得意で事実や規範を軽んじるトランプ流にどんな注意が要るだろう。何よりもまず、その一時的成功に幻惑され、まねをしないことだ。

 日本外交史から大失敗の一例を挙げる。昨年暮れ、安倍晋三首相はオバマ氏の生まれ故郷ハワイを訪れ、旧日本軍の真珠湾攻撃による犠牲者を慰霊した。私もその前日、アリゾナ記念館と関連施設を訪れた。「黒い雨」「サダコ」の英訳などヒロシマ関連の本もあった。展示の説明は日本の「だまし討ち」について抑制的で「米国も国益を追求していた」と公平に記していた。大国が国益追求に走ると、衝突するのだ。

 対米開戦は日本史上最大の愚挙である。不思議なのは、当時の指導部で米国に勝てると考えた者が皆無だったことだ。勝てない戦争になぜ打って出たのか。要因は複雑だが、私はナチス・ドイツの華々しい一時的成功に幻惑されたのが大きかったと考える。

 日本でもトランプ流のポピュリズム(大衆迎合主義)や逆転術にあやかろうとする追従者が現れる。ネットやテレビで外国人への偏見をあおって注目を集め、権力を取ろうとする人間が出てくる。惑わされてはならない。

 日米の「国益」の違いにも留意がいる。トランプ氏の対中国強硬発言に喜んでばかりはいられない。米中の衝突に引きずり込まれないバランス感覚と手腕がいる。米国はいつか東アジアから手を引けるが、日中は千年前も千年後も、一衣帯水の隣国である。

 トランプ政権はツイッターとロシアのサイバー攻撃がもたらした一種のきわもの。いずれは去る。

 56年佐賀県伊万里市生まれ。東京大文学部卒。81年共同通信社入社。モスクワ、エルサレム、ロンドン各特派員、ニューヨーク支局長、編集・論説委員などを経て16年4月から現職。著書に「パレスチナ―聖地の紛争」(中公新書)。

(2017年1月24日朝刊掲載)

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