×

社説・コラム

『潮流』 収容所の音楽隊

■ヒロシマ平和メディアセンター編集部長・宮崎智三

 イスラム圏の7カ国からは入国させない―。トランプ米大統領の命令に、米国の恥部ともいえる1942年の大統領令9066号が思い浮かんだ。フランクリン・ルーズベルト氏が署名して19日でちょうど75年。日系人には決して忘れられないものだろう。

 真珠湾攻撃による日米開戦を受け、米国は西海岸などに住む日系人らを収容所に送り込んだ。11万人以上が「敵国人」として財産を没収され、収容所生活を強いられた。

 その謝罪と補償は1988年になってからだった。その反省は忘れ去られたのか。宗教や人種による差別という道を再び歩むかのようだ。

 ナチスのアウシュビッツ強制収容所の生存者の回想記を読んだばかりだから、なおさら危機感を覚えたのかもしれない。日本語版が出たとのメールがポーランドの知人から届き、購入した。著者はヘレナ・ニヴィンスカさん、101歳。耳は遠くなったけど元気。収容所で女性音楽隊のバイオリニストをしていた。

 収容所の音楽隊は耳慣れない。ガス室送りからも厳しい労働からも離れ、特権的ともいえる立場にあった。ただ所内での演奏は想像するほど楽ではなかったようだ。各国から次々送られてくるユダヤ人たちの不安を音楽で薄める。その片棒を担がされた心痛はどれほどだったろう。

 戦後もユダヤ人らの音楽隊への冷たい視線は変わらなかったという。生き残りが当時を語ることはタブーにしていたほどだ。精神を病む人がいたのも不思議と思えない。

 ニヴィンスカさんが回想記を書き始めたのは95歳になってからだ。沈黙を破ったのは周囲の勧めに加え、ナチスによる虐殺を否定する人々の発言がきっかけだった。「収容所での体験は警告のための記憶です!私の死後も忘れないでいてほしい」とつづる。私たちはもちろん、政治家たちにもかみしめてほしい。

(2017年2月2日朝刊掲載)

年別アーカイブ