被爆証言

長田悦平治さん―よみがえる壊滅的惨状

長田悦平治(おさだ・えつへいじ)さん(89)=広島市東区

原爆の恐ろしさ 当時の写真見れば分かる

 その写真は、今も手元に保存しています。原爆で焼け野原になった広島の街並みや、やけどしながらも子どもに乳をあげる母…。被爆後、カメラマンをしていた長田悦平治さん(89)は1960年ごろ、仕事であるフィルムに目を通しました。あの日を思い出させる複数のカット。「原爆の恐(おそ)ろしさを伝えるには残さないと」。思わず写真に焼いて持ち帰りました。

 少年の頃は肺を患(わずら)い、病弱でした。国民学校の高等科を卒業後、父昌三さんを手伝って自宅で写真を修整する仕事を始めました。45年6月、空襲(くうしゅう)を案じた父の提案で、土手町(現広島市南区)から郊外(こうがい)の曙町(現東区)へ移りました。

 17歳だった8月6日の記憶は鮮明(せんめい)です。爆心地から約3キロ離れた自宅で両親と朝食を取っていた時、「B29(爆撃機)が何か落とした」と叫(さけ)ぶ近所の人の声が聞こえました。確かめるため2階に上がり戸を開けようとした瞬間(しゅんかん)、パーッと光を浴びました。目の前でマグネシウムが燃えたと思うほど強烈(きょうれつ)でした。

 直後、ふわっと宙に浮(う)いたような感覚。爆風に飛ばされ、階段を上がろうとしていた両親の上に落ちました。頭に2、3カ所、ガラス片が刺(さ)さりましたが、痛さは感じません。

 「何が落ちたのか」。外に出ると泣き声や叫び声がします。巨大(きょだい)に湧(わ)く雲の下は薄暗く、家の崩(くず)れる音は爆発音のよう。髪の毛が前に垂れ、顔がすすで真っ黒な人が逃(に)げてきました。皮膚(ひふ)が垂れ、胸に木材が刺さった人も。普通の爆弾にしては威力が大き過ぎる―。皆実町(現南区)にあった広島地方専売局へ出勤した1歳上の姉道子さんの安否も気掛かりです。自宅前の畑に蚊帳(かや)をつり、夜を明かしました。

 翌朝、家を出て市中心部で見た光景に心が固まりました。電車の中には黒焦(こ)げの遺体。中国新聞社、福屋百貨店の建物の前や、水道管が破裂した所には、逃げ場を失ったり、水を求めたりした人々が変わり果てた姿に。「今ならたまげる」はずの光景。昼ごろ、家に戻(もど)ると、姉が帰宅していました。無事を喜びました。

 市街地にあった写真店の被害は壊滅的。請(う)け負(お)う仕事がなくなりました。家も壊(こわ)れて住める状態でありません。9月、父の古里の長崎県の壱岐へ家族で向かいました。親戚(しんせき)にも温かく迎(むか)えられ、半農半漁の生活を5年間続けました。

 肺も良くなり、都会が恋(こい)しくなりました。写真の腕を磨(みが)こうと思い、家族と広島に戻って撮影(さつえい)の技術を学びました。妻佳子さん(78)と結婚した61年前後に勤めていた会社で見たのが、あのフィルムでした。

 「原爆の被災状況をまとめたスライドを作ってほしい」という広島市の依頼(いらい)でした。一人前になるのに必死で、被爆の記憶は頭の片隅(かたすみ)にしまったはずなのに急によみがえりました。「戦時中は爆撃機が来るのも慣れっこ。だから被害が広がったのでは」

 それから50年以上たった今、現役を退き、年老いて物忘れも増えました。「いつ死ぬか分からん」と弱気なところも見せます。それでも、あの写真は自分の被爆証言集の間にきちんとしまい、大切にしています。「核兵器の恐ろしさを知らない今の人も、写真を見れば分かってくれるはず。今度核を使ったら、地球は終わりよ」。強い口調で核兵器廃絶を訴えます。(山本祐司)

私たち10代の感想

戦地行き望む人に驚き

 戦争に行きたかったという人がいることに驚(おどろ)きました。戦地では家族に会えないまま死ぬかもしれないからです。長田さんも軍人になりたかったそうです。しかしかなわず、写真修整の仕事につき、戦地に赴(おもむ)く前の軍人の姿を見つめました。悔(くや)しさはあったかもしれませんが、自分の仕事に最後まで集中したと思います。(中1森本柚衣)

核使用 絶対に防がねば

 原爆がさく裂した時、2階から吹(ふ)き飛ばされた長田さん。爆心地から3キロ離れても爆風はものすごく強いことが分かりました。核兵器の破壊(はかい)力がさらに強大になった今では、一度でも使えば、広島とは比べものにならないほど被害(ひがい)が広がりそうだと思いました。再び核が使われるのを絶対に防がないといけません。(高1上岡弘実)

譲らぬ世界 平和こない

 核兵器は、一つの国が作ると、他の国も対抗(たいこう)して作ってしまいます。核兵器を使えば世界はなくなるかもしれません。長田さんが「強くなろうと思うな」と話していたように、国が強さを競うだけで互いに譲(ゆず)らない状況(じょうきょう)では、核兵器は作られ続けるでしょう。いつまでも安心して暮らせる平和な世界はやってきません。(高1岡田輝海)

(2017年2月6日朝刊掲載)
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