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焦げた学生服 命の尊さ訴え

 13歳の時に被爆した広島市安芸区船越の会社会長梅田尚司さん(80)が8月6日、船越中で体験を話す。「自分が恐ろしい思いをした時と同じ年頃の子どもに命の尊さを訴えたい」。あの日、着ていた学生服を持参し、学校では初めてとなる証言をする。(中島大)

 梅田さんが被爆したのは今の南区比治山本町の鶴見橋東詰めで爆心地から約1・7キロ。県立広島商業学校(現広島商業高)への通学途中で、広島駅から友人と10人程度で南へ歩いていた。

 「しゃがんで右を振り向いたら右目をやられた」。気付いたときは家屋の中へ吹き飛ばされていたという。右目の視力をほぼ失ったが、戦後10年近く治療を続け、奇跡的に視力が回復したという。

 そのとき着ていた学生服は、右腕と裾の右側を中心に焼け焦げている。原爆資料館に一時預けていたが、その後引き取り、押し入れにしまっていた。「多くの友だち、親戚を亡くした」。つらい記憶も封印していた。

 証言をするきっかけは、昨年夏、自作したステンレス製の原爆ドームの模型を船越中に贈ったこと。その際、学校から証言を頼まれていた。

 梅田さんはマツダを定年退職後、1988年に自ら設立した精密板金加工会社に通う日々。「安心して学校に通えることが、どんなに幸せかを知ってもらえればいい」と話す。

(2012年7月28日朝刊掲載)

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