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連載・特集

緑地帯 「声」を求めて 藤森晶子 <2>

 被爆地の広島生まれだからこそ、戦争による傷痕に関心を抱き、被爆者である祖母と同年代だからこそ、フランス解放時に同胞から髪を刈られた被害女性たちに親近感を覚えるのだ―。

 「丸刈りにされた女たち」の声を聞くためにフランスに留学中、彼女たちを学術研究の「対象」とすることに対し、そんなふうに自分を正当化せずにはやっていられなかった。同時に、そんなのはこじつけにすぎないとも感じ、葛藤した。

 しかし、フランスで会ったセシルさんは、私が「こじつけではないか」とひた隠しにしていた思いを、逆の立場から肯定してくれたように思えた。

 セシルさんは若い時、フランスに駐留していたドイツ兵と婚約。だが、戦時下の擦れ違いから結婚には至らなかった。「丸刈り」の危機にもさらされたが、家族が機転を利かせて免れたという。その後はフランス人との結婚と離婚を2度ずつ経験。家族がいない境遇を不運であると嘆いていた。

 セシルさんは、映画「ヒロシマ・モナムール」(邦題「二十四時間の情事」)の主人公と自分を重ね合わせ、自分こそがモデルだと言いたげですらあった。毎年8月6日には必ず広島を思い、祈りをささげると話していた。広島の被爆者である私の祖母たちを、親戚のごとく気に掛けてくれた。

 異国の出来事に、こんな温かな共感を持つことができるものなのか。私は研究という体裁などどうでもよくなり、人生の先輩に話を聞かせてもらうのだという態度に自然と変わっていった。(在日外国公館勤務=東京都)

(2017年2月23日朝刊掲載)

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