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社説・コラム

『記者縦横』 マーシャル諸島の危機感

■報道部・明知隼二

 「島の未来のために、たくさん勉強していつか島に戻ってきてくれればいいのだけど」。米国が67回の核実験をした中部太平洋マーシャル諸島を1月に訪れた。取材の目的は核実験の被害だったが、旧実験場のエニウェトク環礁で聞いた言葉が耳に残っている。

 環礁唯一の学校で過ごせるのは14歳まで。高校で学びたければ、約1100キロ離れた首都マジュロに行くしかない。1986年の独立に先立ち米国と結んだ自由連合協定により、マーシャル諸島の国民はビザなしで米国に移住でき、大学進学のため渡米する若者も多い。しかしその大半は、産業も少なく働き口の乏しい故郷に戻ることはない。

 都市部への集中は国全体で進んでいる。29環礁と5島から成る国の人口約5万人のうち、7割がマジュロと米軍基地近くのイバイに暮らす。地元紙記者は「航海術などの文化、伝統的な食生活、核実験の記憶など、島々の空洞化で全てが失われつつある」と危機感を口にした。

 3月1日は63回目のビキニデーだった。マーシャル諸島といえば、54年3月1日にビキニ環礁であった水爆実験で、日本のマグロ漁船第五福竜丸などが被曝(ひばく)したことに関心が集まりがちだ。しかしマーシャルの島々の人たちの悩みに目を向けると、中国山地や瀬戸内海での暮らし、被爆の記憶を次代へつなごうとする広島の姿と重なり合う。そうした人間の営みを実感することが、核兵器の非人道性への理解を広げていくと思う。

(2017年3月3日朝刊掲載)

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