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連載・特集

通信使の置き土産 <4> 対潮楼

迎賓館 箱庭のもてなし

 島々が浮かぶ箱庭のような瀬戸内海の景色は、朝鮮通信使たちへの最高のもてなしだった。海に面する東側と南側に大きな窓を配した、福山市鞆町の福禅寺対潮楼。福山藩が1690年代に寺の客殿として建て、迎賓館の役割を果たした。

 「冬至と夏至の日、柱の影は対角線上の柱に向かってまっすぐ伸びる。素晴らしい計算だ」。福禅寺住職の山川龍舟さん(67)は説明する。対潮楼からの眺めを長い旅路の楽しみにしていた通信使の高官。1748年の往路、宿泊場所が海から離れた阿弥陀寺に変わって憤る記録も残る。

 他にも、寺や商家が通信使や付き添う対馬藩の人たちのための宿泊場所となった。円福寺の本堂には、通信使が書いた山号「南林山」を写した木製額が掛かっている。

 近隣の知識人たちは、多くの漢詩や書が残された対潮楼を中心に鞆で大陸文化を吸収した。通信使が「人家が魚のうろこのように密集している」と評した港町は、人と物、文化が交わる十字路であった。(衣川圭)

(2017年3月5日朝刊掲載)

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