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連載・特集

通信使の置き土産 <5> 日東第一形勝

眺望たたえた言葉 継承

 〽日東第一形勝のその名も高き鞆の浦

 福山市鞆町の鞆小で1950年代後半まで歌われた第一校歌は、朝鮮通信使が同町の福禅寺対潮楼からの眺望をたたえた言葉で始まる。その6文字は、時代を超えて大切にされてきた。

 言葉が生まれたのは1711年。対潮楼に集まった高官8人が「対馬から江戸までで一番美しい」と一致し、従事官の李(イ)邦彦(バンオン)が隷書にした。

 貴重な書が朽ちるのを恐れた福山藩は約100年後の1810年、書を板に彫らせて木額を作成。同藩の儒学者菅茶山も2年後、同様に彫らせ額に仕立てた。通信使の遺墨を残す熱意が伝わる2枚は、対潮楼に保存されている。

 書から300年余を経て、鞆小6年生が劇の練習に取り組んでいる。通信使と鞆の関わりを紹介する「日東第一形勝物語」。同町で12日にある「朝鮮通信使ゆかりのまち全国交流福山大会」で披露する。李邦彦を演じる浜本紗希さん(12)は「日本一の景色が鞆にあるのはすごい。大きな声で通信使のことを伝えたい」と意気込む。(衣川圭)=おわり

(2017年3月6日朝刊掲載)

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