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連載・特集

[詩のゆくえ] 第2部 3・11を刻む <上> 福島県南相馬市の詩人 若松丈太郎さん

チェルノブイリ重ねた「東北」 書き伝える決意

 東日本大震災から間もなく6年。詩や短歌などの「うた」の表現者は、震災や原発事故にどう向き合い、どんな問いを発してきただろうか。実作を通じ、思索を深めてきた3人に聞く。

    ◇

  四万五千の人びとが二時間のあいだに消えた/サッカーゲームが終わって競技場から立ち去った/のではない/人びとの暮らしがひとつの都市からそっくり消えたのだ

 この書き出しで始まる詩「神隠しされた街」(1994年)が、東日本大震災後、福島第1原発事故を言い当てていると脚光を浴びた。チェルノブイリ原発事故から8年後に現地を訪れて詠んだ詩だ。

 「予言として書いたつもりはなかった。自分が暮らしている地域と重ねてみると、という心配からだった」と振り返る。

 当時も今も、福島第1原発から25キロの福島県南相馬市に住む。チェルノブイリを自らの地域に置き換えると、立ち入りが制限された半径30キロ圏内にすっぽり入る。さらに、原発事故で廃虚と化したウクライナ・プリピャチ市と、合併前の住所である旧原町市(現南相馬市)の人口がほぼ同じことにも気付き、戦慄(せんりつ)した。詩はこう結ぶ。

  神隠しの街は地上にいっそうふえるにちがいない/私たちの神隠しはきょうかもしれない/うしろで子どもの声がした気がする/ふりむいてもだれもいない/なにかが背筋をぞくっと襲う/広場にひとり立ちつくす

 それから17年後、自身の足元が震災と原発事故に見舞われた。「そっくりそのままの状況が福島で起きている。いや、もっと厳しいかもしれない」と実感する。

 岩手県奥州市生まれ。国民学校4年で終戦を迎えた。8月15日を境に、きのうは真実だったことが、きょうは虚偽となる体験に衝撃を受けた。敗戦以上にショックだったのは、教科書への墨塗り。「どうしてそれまでの信念や思想を、ある日突然、くるっと変えられるのだろう。そんな生き方をしてもいいのか」

 そんな憤りの中に一筋の光が差したのが、詩との出会いだった。中学生の頃、家にあった詩人金子光晴の詩集「鮫」を手に取った。収録作の一つ「おっとせい」は、軍国主義に突き進む時代を背景に、鈍感な大衆を同じ向きのオットセイの群れに例え、その中のそっぽを向いた1頭に詩人の立ち位置がにじむ詩だ。「自分の考えを持って生きていけばいいんだと、詩の力を感じ取った」

 学生時代に始めた詩作。今につながる批判精神の源泉にあるのは、「東北」というテーマだ。「いわゆる『東北』とは何か。中央から見た方角なんです。『東夷(とうい)』『北狄(ほくてき)』という言葉があるが、歴史の中で、東北がどんなふうに処遇されてきたか。それは過去だけでなく、今も同じ」と語る。

 高校教師だった71年、営業運転を始めたばかりの福島第1原発を見学した。「なぜ東京電力が、送電コストのかかる福島に原発を造るのか。危険だと認識していたからだ」と指摘する。「東北と沖縄は、同じような構造の中で、いまだ差別されている」と力を込める。

 詩人として見つめたチェルノブイリは昨年、事故から30年を迎えた。その現状を福島に重ねる。

チェルノブイリ三十年の現実を見れば/六年目の福島は始まったばかりである/この先にはまったく見えない未来がある(詩「避難指示の解除」から)

 「とにかく書き残しておきたいという思いが強い。その時代に生きていた責任だと思う」。世代を超え、先を見通す想像力が求められていると感じる。そのために言葉を紡ぎ続ける。

  そしてだれもいなくなった/なんてことにならないよう/わたしたちになにができる/わたしはなにをすればいい(詩「わたしはなにをすればいい」から)(石井雄一)

わかまつ・じょうたろう
 1935年岩手県生まれ。福島大卒。詩集「いくつもの川があって」「わが大地よ、ああ」をはじめ、論考も収めた「福島原発難民」「福島核災棄民」など著書多数。日本ペンクラブ、戦争と平和を考える詩の会の会員。

(2017年3月8日朝刊掲載)

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