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社説・コラム

天風録 「科学者としての節操」

 <辞書の身で、よく攻めに回れるもんだ>と、芸術家赤瀬川原平さんをうならせたのは「新解さん」である。例えば「読書」を引く。寝転んで読む漫画は本来の読書にあらず、とかっこ付きの注釈があり<新解さんにとっての聖域である>と感じ入った▲当方も、新解さん―新明解国語辞典の第7版で「節操」を引くとしよう。「節操の無い、当今の学者」と例文が付く。あらら、学者さんに含むところがあるのだろうか。それとも、昔の学者と違う、という嘆きなのか▲「科学者としての節操」という表現を、67年前の日本学術会議の声明に見る。戦争目的の研究には「絶対に」従わない決意を示す。かつての戦争協力への反省が3文字にもうかがえよう▲その「科学者の国会」が、防衛省の公募研究は問題が多いとする声明の案をまとめた。昔の声明ほど強いトーンではない。基礎研究費が足りぬ現状に鑑み、「学問の自由」の立場から学者たちの結束を重んじたようだ▲新解さんの聖域はともかく、研究資金の出どころ次第で、大学の中に、あらぬ聖域ができるのなら寒々としてくる。「学問の自由」という言葉に、かっこ付きの注釈が付くのはごめんこうむる。

(2017年3月9日朝刊掲載)

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