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社説・コラム

社説 大震災から6年 いま一度 わが事として

 死者・行方不明者に震災関連死を含めて2万2千人近くに上る未曽有の大惨事、東日本大震災はきょうで6年になる。岩手、宮城、福島の被災3県の沿岸部はいまだ、復興の途上にある。しかしインフラは整っても、被災した人たちや避難した人たちの生活実態は、それに追い付いているのだろうか。

広がる復興格差

 日本の災害復興は、被災者一人一人を支援するというより、国が地方自治体を通じて公共事業を後押しする手法を取ってきた。被災地の中には防潮堤建設を拒んで高台移転を優先させた集落もあるものの、被災者がうちひしがれる中、行政のペースで進んだインフラ復旧に民意はどう反映されたのだろう。

 津波で壊滅した岩手県陸前高田市の市街地では高さ10メートルもの盛り土がされ、震災直後とは全く風景が違う。土地区画整理の事業費は1182億円と被災地で最大規模だが、市が仮設住宅入居者らに意向を聞くと、かさ上げ地に自力再建するのは60世帯程度にとどまるという。

 陸前高田市に限らず、津波被害の大きかった市町村ほど、こうしたギャップは大きく、「商店街を再建してもお客は来てくれるだろうか」という不安がついて回る。多くの被災地では、住民が既に別の土地で暮らす選択もしていよう。土地区画整理の制度と実態のずれである。

 これまで以上に「復興格差」に目を向けたい。プレハブ仮設住宅での暮らしを余儀なくされる被災者は、3県にまだ3万5千人いる。災害公営住宅の完成が早かった岩手県田野畑村などでは既に全員が退去しており、それだけに遅れが目立つ。

 復興格差は例えば、農地の再生にも表れている。津波で浸水した農地は宮城県が96%、岩手県が77%の面積で農業を再開できる状態に戻った。それに対し、福島県は福島第1原発の事故で帰還できない地域もあることから、46%にとどまる。

 このように復興格差が広がる一方、日本人の震災の記憶自体は風化する兆しを見せている。憂慮すべきことである。

 地元紙の河北新報が3県の42市町村長にアンケートしたところ、9割の人が風化を感じることが「ある」「多少ある」と回答している。重い数字だ。

決意をしたはず

 被災者の間でも危機感が強まり、宮城県南三陸町では「KATARIBE」を合言葉に留学生を交えた伝承活動のフォーラムが開かれた。児童と教職員に犠牲者を出した石巻市の大川小でも、「あの日」を語り始めた遺族がいることは心強い。

 だが、こうした危機感とは裏腹に、この国の政治は大津波や原発事故などなかったかのように、2020年の東京五輪・パラリンピックへひた走る。

 被災地の首長たちは今「復興五輪」の位置付けに戸惑う。同じアンケートで「五輪が被災地の復興に役立つか」という問いに「なんともいえない」と答えた人は半数を超した。復興五輪の言葉だけが独り歩きすることのないよう望むところだ。

 震災後、私たちは巨大災害の時代に生きる者として、どの土地でも減災・防災への備えを確かめ、多くの死を無駄にしないという誓いを立てた。既に過疎と地域の衰退に直面していた被災地の危機が、大津波や原発事故によって一気に加速された。それは将来、日本のどの土地にも共通する現実だと考え、ともに歩む決意をしたはずだ。

 いま一度、わが事として捉え行動しなければならない。

偏見なくすため

 原発事故で福島から全国各地へ避難した子どもたちへのいじめが、相次いで表面化している現実もある。大人が避難者に共感する姿勢を見せて、偏見をなくしていかねばなるまい。副読本や生の証言などを通じ、教育現場が被災地や避難者の現状を伝えることも急がれよう。

 福島のものを買う、観光で足を運ぶ、ボランティアで汗を流す―。こうしたことから福島を含む被災地を身近な存在としてとらえる。あらためて、そんな機運を高めていく時期にさしかかっているのではないか。

(2017年3月11日朝刊掲載)

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