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細る支援 東日本大震災から6年 <上> それぞれの決断 避難の日々か帰郷か

 東日本大震災から11日で6年を迎えた。福島県は、東京電力福島第1原発事故で避難区域外からの「自主避難者」への住宅の無償提供を今月末で打ち切る。支援の縮小は、住み慣れた場所を離れるかどうかの決断を避難者に迫った。広島や山口、島根県では、避難者同士のつながりを編み直そうとする動きも出ている。中国地方の動きを追った。(奥田美奈子)

 福島県郡山市に隣接する三春町で被災した片平文子さん(73)は2月上旬、5年間住んでいた東京都立川市の都営住宅から、長女の道上有香さん(41)が暮らす東広島市に移り住んだ。

 有香さんの自宅とは歩いて10分の距離。「毎年、次はどこに住んでいるのかと考える暮らしから解放された」。有香さんの自宅を訪ね、ほっとした様子で話す片平さんの隣で「近くに迎えられてよかった」と有香さんは胸をなで下ろす。

 夫(74)と長男(42)の3人暮らし。夫婦ともに70歳を超え、障害がある長男は車いす生活を送る。引っ越しで不安が解消したわけではない。それでも「長女がおり、孫の成長をそばで見られるのは幸せなこと」と前を向く。

高い家賃ネック

 転居を決断したのは、自主避難者への住宅の無償提供を福島県が今月末に打ち切るためだ。片平さんは都からも今月末までの退去を求められた。

 2012年から住む都営住宅では地元住民とすっかり打ち解けた。同じ境遇の人が多く、東北弁も聞こえた。近くには次女の家族も暮らしていた。ただ「いつか出ていかざるを得ないんだろうと覚悟していた」。片平さんはかみしめるように話す。

 新たなすみかを探す中、都は高速道路で約1時間離れた別の都営住宅への転居を勧めた。福島県が新たな支援策として打ち出した民間賃貸住宅への家賃補助制度の利用も検討したが、家賃の高い関東地方に居住するか、同一の都道府県内に引っ越すなどの条件もあり諦めざるを得なかった。

 結局、故郷からさらに遠くなるものの、震災直後に同県いわき市を離れ、12年から東広島市で生活基盤を築いてきた有香さんに呼び寄せられる形で移住を決めた。今後は年金暮らしで月約7万円の家賃をやりくりしなければならない。

 片平さんは2月中旬、広島市南区であった避難者向け説明会に出席した。すがる気持ちで福島県の職員に補助を求めたが、「もう、そう決まっとりますから」。にべもなかった。

「今更戻れない」

 支援の縮小は、避難者一人一人に決断を迫った。片平さんのように家族を頼って新たな避難先に移る人もいれば、故郷への帰還を決めた人も多くいる。広島県によると、県内の避難者数(2月末現在)はこの1年間で35人減って351人になった。

 一方、福島県から広島県へ自主避難する40代女性はこの地への残留を決めた。福島県で働く夫を「当面、子どもの教育環境を変えたくない」と説得した。でも「当面」は本心ではない。「家計は大変になるが、今更戻れない」

 避難できた人とできなかった人の溝、補償を巡るねたみ、避難者いじめ…。故郷にはさまざまな亀裂が生じている。6年間を過ごした広島県には、親しい人も助けてくれる人もいる。「子どもの成長に合わせて仕事を増やし、広島で生きていく」

福島県の住宅無償提供
 災害救助法に基づき、東京電力福島第1原発事故で避難した県民の移転先を応急仮設住宅として借り上げ、無償提供している。2015年、避難区域外では生活環境が整ったとして、自主避難者への無償提供をことし3月末で打ち切ると表明した。代替策として、所得制限を設け、民間賃貸住宅の家賃をことし1月から18年3月までは半額(上限月3万円)、18年4月から19年3月までは3分の1(同2万円)を補助する。

(2017年3月11日朝刊掲載)

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