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両被爆地で伝承者に 長崎の「2世」で広島の沖西さん 長崎で初講話

 広島市の被爆体験伝承者として活動するビオラ奏者の沖西慶子さん(51)=安佐北区=が18日、小学5年までを過ごした長崎市で同市の伝承者としてデビューする。母親が長崎市で被爆した被爆2世。両市の伝承者を兼ねるのは初のケースとなる。「二つの被爆地をつなぐ存在がもっと必要。両方に縁のある私が、その手伝いをしたい」と思いを強くしている。

 長崎市の原爆資料館であるフォーラムで、家族の被爆体験を伝える「家族証言者」として登壇する。爆心地から4・1キロの自宅で被爆した母素子さん(82)=安佐北区=と、素子さんのいとこで同1・2キロの学徒動員先で被爆死した高村忠三さん(当時17歳)を軸に、あちこちで遺体が焼かれていた市内の光景や、今でも消えない悲しみを話す。

 沖西さんは2008年、甲状腺の病気を患った。「私の被爆のせいか」と自分を責める母に驚いて放射線や原爆の勉強を始め、被爆2世としての自分を意識するようになった。広島市の事業へ申し込み、昨年4月から伝承者として細川浩史さん(89)=中区=の証言を語り継ぐ。

 同時に「私は長崎について知らないことが多い」とも感じるようになった。伝承者仲間に長崎の爆心地の地図を示した時にも「初めて見た」と言われた。「被爆地の広島と長崎の懸け橋になるのは私の使命かもしれない」。昨年8月、長崎市の伝承者にも申し込んだ。

 片道4時間かけて研修に通い、親戚からも聞き取りして知識と思いを深めた。母の自宅があった場所も初めて訪れた。

 広島では被爆者の体験を正確に伝えることを重視し、被爆2世としての自らの思いは話さなかった。長崎では「私の体験や考えがあるからこそ、今と72年前のつながりが聞き手の心にすとんと落ちる」と考え、自身の半生も紹介する。

 フォーラムでは、30分間の講話の中で、原爆で亡くなる直前に多くの学生が歌ったという「海行かば」もビオラで奏でる。「二つの被爆地が寄り添い、協力することで、被爆体験の風化を防ぎ、平和を訴える力を増すことができる。少しでもその後押しをしたい」との思いを胸に、歩みを進める。(新谷枝里子)

(2017年3月18日朝刊掲載)

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