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社説・コラム

天風録 「肥田さんの遺言」

 体調が悪く苦しいのに人に分かってもらえなければ、誰しもつらい。心まで病むかもしれない。被爆者の中にも、だるくて動けない人々がいた。原爆投下から何年もたち、直接ピカに遭っていない人まで…▲「ぶらぶら病」。誰とはなしにそう呼んだ。怠け者扱いは悔しかったろう。苦しみに心寄せたのが医師、肥田舜太郎さん。自身も広島で被爆したあの日から被爆者の治療や救済に尽くし、おととい100歳で亡くなる▲被爆直後、なすすべなく大勢をみとった。ぶらぶら病も原因さえ分からない。ある患者は診察中に頬づえを突き、やがて床に座り、しまいには横になった。尋常でない「だるさ」と知るが治療法もない。寄り添うしかなかった▲原爆投下後に入市して吸い込んだほこりによる内部被曝(ひばく)が原因と知ったのは30年後。放射性物質が長く体をむしばむのだ。以来、欧米30カ国以上を行脚して核廃絶を訴えた。「誰も放射線をコントロールできない」と▲福島第1原発事故の発生時には94歳。ぶらぶら病の発症を心配して、最晩年まで老いた身にむち打って各地で訴え続けた。「原子力は人間が扱える代物ではない」。著書に記す。遺言としてかみしめたい。

(2017年3月22日朝刊掲載)

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