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連載・特集

緑地帯 朴さんの手紙 久保田桂子 <2>

 朴道興(パク・ドフン)さんとの出会いは2005年。私は大学の映像学科を卒業したばかりで、シベリア抑留について調べるためソウルを訪れた。

 私の祖父もシベリア抑留の経験者だ。当時私は、学生時代に挑んで頓挫していた祖父の戦争体験についてのドキュメンタリーにもう一度取り組もうと思い、資料を調べていた。そんな中、近代史を学んでいた友人が、韓国にも抑留者がいると教えてくれたのだ。

 冬のソウルは、気を付けないと寒さですぐカメラが止まった。私は友人の紹介で、7人ほどの元日本兵に会うことができたが、その一人が朴さんだった。

 彼らの多くは終戦前年に日本統治下の朝鮮半島で召集され、戦後、シベリアに抑留された。孫と同年代の私に、彼らはとても優しくしてくれた。お酒を飲むと日本の古い歌を歌ったが、厳しい表情で言った。「当時はね、韓国語の歌を歌ったら殴られた。日本の歌しか歌えなかったんだよ」

 私は連日、彼らが日本語で語る戦争体験に耳を傾けた。皇民化政策下の苦しみ、軍隊での上官の暴力、シベリアの収容所での苦しみ、帰国後の差別…。資料で読むのと実際に聞くのとは、伝わるものが全然違った。テレビで竹島のことが盛んに取り上げられた時期で、豊臣秀吉による侵略について講義を受けたり、異国で女の一人旅なんてとんでもないととがめられたり、感謝と反発とでくたくただった。

 ある時、食事の席で声を掛けられた。「ヤマネアキオを知っていますか。私の日本人の友人なんだ」。それが朴さんだった。(映像作家=長野県)

(2017年3月17日朝刊掲載)

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