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あの日語る広島 兄の遺品寄贈 永町さん「首都圏で学ぶ契機に」

 東京都八王子市の被爆者たちが運営し、7月で開設20年となる「八王子平和・原爆資料館」は、同市の永町洋子さん(83)の兄で、広島市内で被爆翌日に14歳で亡くなった豊嶋長生(たけお)さんが着ていた衣服を希望者に公開している。寄贈した永町さんは「首都圏の人たちが原爆の悲惨さを知るきっかけになれば」と願っている。(田中美千子)

 広島二中(現観音高)の1年生だった豊嶋さんが1945年8月6日、学徒動員先の爆心地近くで被爆した際に身に着けていた制服の上下と下着のシャツ。いずれも血のような染みが残る。名前や血液型を手書きした名札が縫い付けられた制服の上着はびりびりに破れ、ズボンには患部を治療するためにはさみを入れたような跡がある。

 豊嶋さんは、母敏子さんによってその日のうちに捜し出され、五日市町(現広島市佐伯区)の自宅に連れ帰られた。しかし翌7日、永町さんたち家族にみとられて亡くなった。

 永町さんは「兄は全身を焼かれ、最期に君が代を歌った」と振り返る。自宅には中国・大連にいた父へ、母が送った同10日付の手紙の複写もある。自らの腕の中で君が代を歌った息子の様子を伝え、「傷の痛みは一言も申さず」「愛児長生は我子乍(なが)らも頭の下がる思ひ」などとつづっている。

 敏子さんが91年に83歳で他界した後、遺品の中に豊嶋さんの衣服があるのが分かった。「生前、兄の記憶を封印したかのように何も語らなかった母が持っていたことに驚いた。兄への思いの深さにも、あらためて気付かされた」という。

 「当時の記憶を伝えたくても、思い出すと胸がいっぱいになり何も言えなくなる」と永町さん。「せめて兄の遺品が役立てば」と衣服を寄贈した思いを語る。

 資料館には、永町さんの夫敏昭(としてる)さん(2013年に86歳で死去)の思いも詰まっている。入市被爆した元中国新聞記者で、若い頃から原爆関連の本を集めていた。退社して東京の日本新聞協会に勤めるようになってからも収集を続け、八王子市の自宅に積んだ蔵書は400冊以上に。敏昭さんが地元の被爆者団体に蔵書の活用策を相談したところ、97年7月に資料館を開館することになった。

 資料館は市役所そばのビル2階にあり、現在は敏昭さんが寄贈した本を含め3千冊以上を所蔵。市内や近郊の有志約10人が毎週水、金曜日に開館する。入館無料で、経費は個人、団体の寄付で賄っている。会費を払う代わりに本を借りられる会員には、俳優吉永小百合さんも名を連ねる。

 開館時から運営に携わる市内の被爆者佐木豪さん(87)は「東京からも原爆の悲惨さを発信するため、資料を次代に残したい」と話している。資料館Tel042(627)5271。

(2017年3月27日朝刊掲載)

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