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社説・コラム

天風録 「黄色いきのこ雲」

 朝鮮半島で戦争が勃発した1950年秋、作家になる前の野坂昭如さんは玄界灘を挟んだ小倉にいた。「原爆が飛んでくる」と思い込み、新潟まで逃げる。まるで「きのこ雲が追い掛けてくる」恐怖感だったらしい▲戦争童話集を一緒に作ったイラストレーター黒田征太郎さんが聞いている。14歳の時に神戸大空襲で焼け出された野坂さんには被爆者のなめた辛酸も焼き付いていたのだろう。子ども時代の記憶は時に一生涯引きずる▲遠く離れたシリアの地から、不気味な言葉を聞くとは思いもしなかった。「黄色いきのこ雲」。空爆で撃ち込まれた化学兵器から立ち上ったガス雲の目撃談らしい。自力では息も吸えず、横たわる幼子の写真や映像に連日接し、胸をかきむしられる▲手に入りやすい材料で大量殺りくを引き起こす化学兵器は「貧者の核兵器」とも呼ばれる。かの地でも、異形の雲が惨禍の代名詞として語り継がれていくのだろうか。<あざ笑うごとくにきのこ雲がわく>竹永あきら▲未来からの預かりものである子どもが犠牲となる社会は、絶対によくない。シリアの内戦に再び米国が割り込んだ理由も同様だが、なぜそれでミサイルなのか。分からない。

(2017年4月8日朝刊掲載)

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