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連載・特集

[Peaceあすへのバトン] 東京大空襲・戦災資料センター学芸員 辻口亜衣さん

広い視野で原爆捉える

 広島市安佐北区白木町の出身です。千葉大大学院の修士課程に籍を置きながら、東京都江東区の東京大空襲・戦災資料センターで補助研究員をしていますが、この4月から学芸員と名乗っていいことになりました。1945年3月10日に約10万人が亡くなった東京大空襲をはじめ、戦時下の暮らしの資料を展示する民間の施設です。新着資料の整理を担当しています。

 もともと原爆が研究テーマです。物心ついた頃から原爆に興味がありました。学校の図書室や公民館にある平和に関する本を読み、白木中を卒業して高校に入っても自主的に勉強していました。ネット上に掲載されていた中国新聞の企画「遺影は語る」は本当に参考になりました。

 戦争を知るために歴史学を学びたい気持ちが強まりました。ほかの国が戦争をどう捉えていたかや、第1次世界大戦についても深く勉強しないと、第2次世界大戦で広島になぜ原爆が投下されたかが分からないと思ったんです。千葉大を受験したのは近現代史に強いと聞いたから。推薦入試では「どうしても戦争の勉強がしたい」とひたすら訴えて何とか合格できました。

 大学では先生から「原爆ばかり勉強してどうなる」とも言われました。主観ではなく研究対象とするなら客観視せよということなのでしょう。その通りだと思い、近代史の広いテーマを勉強してから原爆を捉えようと思い直しました。その上で卒論のテーマにしたのが広島市内の地域ごとにある原爆の記念碑です。

 戦争の記念碑の研究が進むドイツの論文も参考にしました。あちこちの碑を巡って分析すると戦後、年代ごとに住民の碑への思いや説明板が変わり、地域単位の顔の見える犠牲者の供養から、ある時期を境に核廃絶や平和を訴える理念的な存在に変わっていったことが分かったんです。

 ただ週末には広島に戻って調査し、平日は千葉で授業を受けるというオーバーワークのためか体調を崩し、大学院は休学中です。

 高校時代から原爆資料館の学芸員になるのが夢でした。今の資料センターに友人の紹介で通うようになってから広島、長崎以外の戦災にも本格的な関心を持つようになりました。東京の仕事をしながら原爆についても学び続けたいと思っています。

 例えば爆心地から離れた郊外、私が住んでいた白木町のようなところにも、原爆の記憶は継承されています。ですが、こうした外側の地域の原爆の受け止めについての研究は少ない。それをやってみたい。体調を考えながら修士号を取り、チャンスがあれば次を目指したいと思います。(文と写真・岩崎誠)

つじぐち・あい
 広島市安芸区船越生まれ、2歳の時に安佐北区白木町に移る。広島文教女子大付属高卒。14年に千葉大文学部卒、大学院人文社会科学研究科修士課程進学。15年から東京大空襲・戦災資料センター補助研究員、17年4月に学芸員兼務。大戦末期の高円寺(東京都杉並区)の町会回覧板などの調査を担当した。千葉市在住。

(2017年5月15日朝刊掲載)

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