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社説・コラム

悼記 綿密調査 非条理を告発 原爆文献研究家 田原伯さん 10日、84歳で死去

 カメラを向けるとすぐに帽子や手で顔を隠した。本名の田原「伯(つかさ)」を新聞に載せると告げれば、取材に応じてもらえなかった。過剰なまでの自分隠しの理由さえ、照れて明かさない。だが、訃報に接して思う。それは、自分に与えられた使命を果たし切れていないという焦り、いら立ちの裏返しだったに違いないと。

 被爆者ではないのに、原爆(げんばく)の「げん」になぞらえて自らを「幻吉(げんきち)」と名乗った。原爆が人間に何をもたらしたのか、ありとあらゆる関連文献の収集と分析に、半生を費やした。

 権力の下で働けば、それこそ権力の愚行の象徴である原爆投下を告発しにくくなると考えたのだろう。在野の一研究者を貫いた。懐具合は決して十分ではなかったはずだが、家族や周囲に支えられた。なのに、はたから見れば「そこまでやるか」とあきれるほどの、のめり込みよう。例えば、版を重ね、刷り増しした原爆文学であれば、各版・各刷すべてに目を通し、一字一句を綿密に比較した。

 それほどまでのこだわりは、いいかげんな調査で誤った歴史を後世に残しては、無念の死を遂げた原爆犠牲者に申し訳ないという強い責任感の表れなのだ。うそや誇張が原爆被害の非条理さをむしろ薄め、ゆがめてしまうとの危機感にほかならない。

 原爆問題の担当記者にとっては怖い存在でもあった。あいまいにごまかした記事を紙面に載せると、ことごとく指摘を受けた。

 古書店を一緒に回り、原爆関係の故人の墓参を重ね、夜は居酒屋をはしごして話し込んだ。酔うほどに、うそや誇張を告発する口調は鋭くなっていく。ざら紙に鉛筆で書き込んだ膨大なメモの束をかばんから取り出し、苦労話が始まると、終電の時刻はたちまち過ぎた。

 労作「原爆被災資料総目録」は、占領期文献をまとめた第4集(1984年発行)で途切れた。その後書きに幻さんはこう記す。「単なる文献目録にとどまらず、解説、解題を試みるつもりであった。しかし、それを実行するためには多大な人材と費用を必要とする。このような形で発刊せざるを得ないことに、強い自責の念を覚えており…」

 9年前に脳出血で倒れ、リハビリを続けたが、第5集の発行という執念は果たせなかった。

 「お疲れさま」と声を掛けたくなる。ただ、あの圧倒的な仕事ぶりに一度でも触れると、「後は任せて」とたやすく口にできない自分がもどかしい。原爆犠牲者の無念をしっかり継承できているのかどうか。核兵器が廃絶できない人類全体に対し、幻さんが残した宿題は重い。(編集局長・江種則貴)

(2017年5月18日朝刊掲載)

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