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被爆67年 「命からがら」証言

 広島原爆の日の6日、惨禍に巻き込まれた人々の冥福や平和への祈りが広島市や周辺で続いた。あの日から67年。被爆者の高齢化が進む中、体験の継承や核兵器の廃絶を目指すイベントも繰り広げられた。

 学徒動員先で被爆し、原爆投下から約3時間後に御幸橋(現広島市中区)そばで撮影された写真に写っていた河内光子さん(80)=中区=が、安佐南区の山本小で講演した。命からがら父と逃れた体験を、児童約800人に語った。

 写真は、中国新聞カメラマンだった故松重美人さんが、橋近くにできた臨時救護所のけが人の列を撮った。セーラー服の後ろ姿が広島女子商業学校(現翔洋高)2年の河内さんだった。自身もやけどを負いながら捜しに来てくれた父と救護所にたどりついたという。

 河内さんは救護所から舟入幸町の自宅に向かった時の様子も説明。「父の腕をつかむと手袋のように皮が剝けた。助かりたい一心で水位が腰ほどある川を渡った」と振り返り、「相手を殺すのが戦争。絶対にしないで」と締めくくった。(井上龍太郎)

(2012年8月7日朝刊掲載)

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