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社説・コラム

『記者縦横』 被爆者の思い伝えねば

■ヒロシマ平和メディアセンター・桑島美帆

 3歳半になる次女は、しょっちゅう抱っこやおんぶをせがみ、駄々をこねる。疲れることも多いが、無邪気な笑顔や、すやすや眠る姿は本当にいとおしい。原爆に命を奪われた無数の幼子も同じだっただろう。

 3月に約7年ぶりにヒロシマ平和メディアセンターへ復帰し、さまざまな被爆体験に接している。乳幼児が犠牲になった話を聞くと生前の姿をわが子と重ね、胸が締め付けられる。

 広島市南区に住む被爆女性から新聞社に突然、電話があった。当時、軍の輸送の拠点だった宇品線の宇品駅で働いていた松田千枝さん(88)だ。「このまま死んだら、あの親子が浮かばれん」と声を振り絞った。

 あの日、次々に貨車で移送される負傷者を運ぶ作業を手伝った。全身ボロボロになった女性がおんぶしていた赤ちゃんは「頭の皮がタマネギみたいにつるっとむけて、両手は骨だけになっていた」という。夏が来るたびに記憶がよみがえり、眠れぬ日々が続くが、ずっと胸にしまっていた。今こそ語らねばと思ったという。

 同じように、70年以上たって被爆体験を語り始める人が相次ぐ。広島市が募る「被爆体験証言者」は3年前から大幅に増え始め、本年度は47人が登録した。老いを重ねる一方、記憶が消えることの危機感に突き動かされるのだろう。

 「街で赤ちゃんを見かけると、お母ちゃんと幸せになってねえ、と心の中で言います」と松田さん。被爆者の思いを伝える責務を、前よりいっそう感じる。

(2017年5月19日朝刊掲載)

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