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連載・特集

ひろしま解体新書 路面電車 被爆電車 「証人」の3両 今も現役

 平和学習で広島を訪れた倉敷市の中学生と教員たち約40人を乗せた広島電鉄(広島市中区)の被爆電車が今月中旬、中区の相生橋に差し掛かった。「この橋を目標に原爆が落とされた」。胎内被爆者の小西ヒサ子さん(71)=西区=の語りを聞きながら、生徒たちは車窓から原爆ドーム(中区)に視線を向けた。

「何かを感じて」

 ゴトンゴトン。揺れに身を委ね、それぞれが72年前の夏へ想像を膨らませた。引率した真備中教頭の福添信子さん(55)は「もはや生徒の祖父母も戦争を経験していない世代。少しでも『本物』に触れ、何かを感じ取ってほしい」と狙いを話す。

 広電の社史によると、原爆で従業員185人が死亡し、市内線用の123両のうち108両が被災した。後に被爆電車と呼ばれるようになった「650形」の5両も全焼や大破などの被害を受けた。爆心地から1キロ以内の中電前(中区)付近にいた651号は爆風で脱線。窓やドアは吹き飛ばされ、火災で半焼した。

 5両は、金属が貴重だった戦時下の1942年製。軍都・広島の重要性から製造を許されたとみられる。被爆当時の最新鋭車両で、いずれも修復された。広電OBの佐久間徳彦さん(86)=中区=はかつて、中国新聞の取材に「人手が足りず、車体の外板の修理には造船所の助けも借りた。市民の足を確保しようと必死だった」と回想している。

 戦後生まれの車両も次々と引退する中、広電は被爆の証人として今も3両を維持。651号、652号は朝夕の通勤通学客の輸送に、平和学習の貸し切り利用にと、活躍の場は多い。653号は、原爆当時の青と灰色の塗装に復元し、イベント時などに走る。

特別ダイヤ編成

 被爆地の会社としての取り組みも続けている。8月6日の原爆投下時刻には、電停や信号待ちで停車した電車の乗客に、車内放送で黙とうを呼び掛けている。

 もう一つ、隠れた計らいもある。当日は2両の被爆電車が午前8時15分に原爆ドーム付近で擦れ違うよう、ダイヤを組んでいる。ただ、平和記念公園を訪ねる乗客で混み合い、ダイヤは乱れがちだ。

 「時間に間に合うようにとスピードを出すわけにはいかず、早く着いても止まって待てない。なかなか想定通りにいかない」と、千田営業課(中区)課長の宮本峰宏さん(42)。ホームページでも公表していないが「先輩から受け継いだ計らい」としてことしも続けるつもりだ。(馬場洋太)

(2017年5月24日朝刊掲載)

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