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広島を再訪したサラエボ交響楽団のエミール・ヌハノビッチさん(46)

■記者 永里真弓

 「懐かしい友人に会って、あらためて思った。サラエボは孤独じゃない」。国際交流基金(東京)の招きで来日し、強い希望で9年ぶりに広島市を訪れた。

 今月、母国ボスニア・ヘルツェゴビナの地方都市に私財を投じ、幼児から大人を対象にした音楽学校を創設した。来年はさらに首都サラエボなど3都市に設立する。ボスニア紛争(1992-95年)で、多くの音楽家と楽器を失った母国の音楽教育の復興は始まったばかり。「ヒロシマの人々の応援で可能性が広がった」と感謝する。

 今回の訪問では、広島市民がサラエボに届けるために寄せたトランペットやバイオリンを優しく抱いた。中区の特定非営利活動法人(NPO法人)「ANT-Hiroshima」が呼び掛け、集めた楽器である。

 音楽教育復興への情熱の原点は2つ。1つは紛争の経験だ。サラエボ交響楽団は砲弾が雨のように注ぐ中、演奏会を続けた。「標的になるので危険だったが、会場はいつも満員。音楽が抵抗運動だった」と明かす。

 1999年の広島訪問も忘れられない。「オーガスト・イン・ヒロシマ」に出演し、世界12カ国40人の即席楽団で平和の調べを奏でた。「国籍や民族が違っても音楽があれば平和のために集える」。その確信を今、実践に移す。

 新設した学校では、かつて悲惨な戦いを繰り広げたムスリム、クロアチア、セルビアの3民族の生徒を公平に受け入れる。「和解」の心をヒロシマに学んだ。

 サラエボで妻、2人の息子と4人で暮らす。

(2008年11月29日朝刊掲載)

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