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社説・コラム

天風録 「大田昌秀さん逝く」

 「義勇兵役法」がわが国で制定されたのは、敗戦の年の6月22日だという。くしくも守備軍司令官らが自決し、沖縄戦の組織的戦闘が終わった頃である▲「それだけに痛恨の思いは消し難い」と大田昌秀さんは著書で述べていた。沖縄ではその義勇兵役法の裏付けもないのに学徒が戦場に駆り出され、多数が犠牲になった。民は軍と「共死」するしかないと大本営は決めつけていたからだ―。悲劇を繰り返すな、と生き残りとして叫び続けた人の訃報をきのう聞く▲知事在任中、米軍用地強制使用を巡る代理署名を拒否した。沖縄の運命は沖縄が決めるという意思に基づく、知事にしかできない行動だった▲知事から参院議員に転じた後には、有事法制に関連して、戦争中に法律が守られると思うか、と質問したことがあると知る。米軍の沖縄本島上陸が迫るや、本土出身の役人や校長が情けなくも逃げ帰ってしまった記憶を、憤りとともに明かしていた▲沖縄の心とは何かと問われて「平和を愛する共生の心」と答えた。理不尽な共死の時代は二度とごめんだ、と願った。だが、県民への基地押し付けに流されるこの国の政治に、強い危惧を抱いての旅立ちではあるまいか。

(2017年6月13日朝刊掲載)

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