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社説・コラム

『潮流』 不戦という思想

■ヒロシマ平和メディアセンター長 岩崎誠

 先週、亡くなった大田昌秀さんに東京で会ったのは10年前になる。米軍再編の深層を追う取材を重ねていた頃。岩国の基地機能が強化される背景を、元沖縄県知事の証言から探りたいと思ったのだ。

 3時間を超すインタビューになった。熱弁は岩国にとどまらず、沖縄戦や基地の歴史に広がっていく。その中で本人の信条がにじむ逸話を聞けた。知事として最後の年の1998年のことだ。日米が返還で合意しても移転先が決まらない米軍普天間飛行場。岩国に移せという声が県幹部から出たそうだ。しかし大田さんは「沖縄の苦しみを本土に移しても問題は解決しない」と一言で退けたという。

 目先の負担のたらい回しで禍根を残すより、事の本質を見据える。その政治姿勢は、ある意味では知事として手がけた「平和の礎(いしじ)」とも相通じていた気がする。敵も味方も軍も民も関係なく沖縄戦の犠牲者の名前を刻み、戦争のない世を祈念する―。つまり戦争という絶対悪を直視する思想といえるだろう。

 大田さんは晩年、講演の締めくくりで沖縄の話から離れることもあった。長崎の被爆医師、永井隆博士が病床で書いた「いとし子よ」をよく朗読したと聞く。原爆で母を失い、やがて父も失うであろう愛児2人に宛てた一文。平和憲法を守り、どんなののしりを受けても「戦争絶対反対」を叫び続けよと、わが子に求めた永井博士の遺言である。

 「愛の世界に敵はない。敵がなければ戦争も起こらないのだよ」。原子野からの切なる叫びは、沖縄の戦場を生き延びた大田さんがたどりついた平和の礎の思想とも、確かに重なり合う。

 広島・長崎と沖縄が手を携えたい。よく聞く言葉だが、現実はどうだろう。私たちは地上戦の惨禍がもたらした基地の島の不戦の誓いに、次第に鈍感になってはいないか。あすは沖縄の慰霊の日。

(2017年6月22日朝刊掲載)

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