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社説・コラム

社説 沖縄慰霊の日 痛み 受け止めているか

 太平洋戦争末期の沖縄戦で、日本軍が組織的な戦闘を終えた日から、きょうで72年になる。

 本土決戦を先延ばしするための「捨て石」作戦ともいわれた地上戦では、3カ月で日米双方の約20万人が尊い命を奪われた。県民の4人に1人が亡くなったともいわれる悲劇に、あらためて思いを致したい。

 当時を知る人は年々少なくなり、「痛み」を広く共有することが、ますます難しくなっているからだ。

 今月12日には元沖縄県知事の大田昌秀さんが92歳で亡くなった。反戦平和を掲げ、米軍基地負担軽減に力を尽くした。原点にあったのは学徒として駆り出された沖縄戦の体験という。多くの友を失った「生き残り」として過重な基地負担を強いられる沖縄の不条理を訴え続けた。

 沖縄では昨年末、米軍北部訓練場の約4千ヘクタールが返還された。それでもなお在日米軍専用施設面積の約70%が集中している。「捨て石」にされ続け、不条理が増すばかりの現状を大田さんはどう見ていただろう。

 象徴的なことが、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題である。名護市辺野古では反対の民意を無視した埋め立て工事が強行されている。移設を巡って日本政府は翁長雄志(おなが・たけし)知事との対立を深めてきた。菅義偉官房長官は翁長知事が求めた話し合いの継続を拒み、昨年末、県側が敗訴した最高裁判決を背に強引に突き進む。

 選挙などでたびたび示されてきた沖縄の声を聞かない問答無用のやり方といえよう。それでは、「銃剣とブルドーザー」で沖縄の土地を軍用地として奪った米軍を責められまい。

 沖縄県は辺野古での工事を巡り、国が県知事の許可を得ずに「岩礁破砕」を行うのは違法として、工事の差し止めを求めて来月にも国を提訴する。

 沖縄の人たちは、地上戦の悲劇を体験しながら敗戦後もずっと朝鮮戦争やベトナム戦争など米国の戦争と隣り合わせの苦難を強いられた。米兵らによる犯罪も後を絶たない。そうした歴史を踏まえれば、なおさら沖縄の声は無視できないはずだ。

 最後の激戦地となった糸満市の平和祈念公園ではきょう全戦没者追悼式がある。翁長知事は平和宣言で、昨年末に米軍の垂直離着陸輸送機オスプレイが浅瀬に突っ込み大破した事故などを引き合いに米軍を批判する。

 この事故でも地元の声は軽視された。かねて住民たちが訴えてきた危険性が現実になったにもかかわらず、日本政府は「不時着」とする米軍の言い分を受け入れ、事故から間もなく飛行再開を認めた。住民の命をあまりにも軽んじている。

 それだけではない。北部訓練場のヘリコプター離着陸帯建設現場では、警備に来ていた大阪府警の機動隊員が抗議活動する人を「土人」となじった。

 驚くのは沖縄北方担当相や大阪府知事がそれを差別と認めず擁護したことである。政治家も国民も沖縄に対する認識や人権感覚がまひしていないか。胸に手を当て、いま一度考えたい。

 ことしは沖縄の本土復帰から45年の節目でもある。政府は、地上戦の悲惨とその後の沖縄の状況をきちんと理解した上で、丁寧に対話を重ねるべきだ。私たち国民も、「痛み」を共有する努力を忘れてはならない。

(2017年6月23日朝刊掲載)

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