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美保関事件90年 記憶継承を模索 慰霊団体 HP改修し情報発信

海軍4艦 訓練中に衝突し119人死亡

 1927年、松江市美保関町沖で旧日本海軍の軍艦4隻が訓練中に衝突し、119人が亡くなった「美保関事件」から、今年8月で90年の節目を迎える。「悲惨な事故とその教訓を忘れないでほしい」。犠牲者の慰霊を続ける人々は、記憶の継承に動いている。(秋吉正哉)

 境港市花町にある「美保関沖事件殉職者慰霊塔」の顕彰護持会。松下薫事務局長(88)=同市馬場崎町=は自宅のパソコンに向かい、4月下旬から会のホームページ(HP)の改修を進める。文字を大きくするなど見やすくし、事件に関する報道や講演、会の活動記録をできる限り収集して載せた。

 事件は、軍縮条約で戦力を制限された日本海軍が、無謀な訓練を重ねたことが背景にあるとされる。松下さんは「起こるべくして起こった事故。人命や科学技術を軽視する風潮は終戦まで残った」と指摘。「精神至上主義に陥った戦前の教訓を伝えたい。HPを見た人の中から、事件に関心を持つ人が出てきてほしい」と話す。

 事故現場に最も近い地蔵崎がある美保関町でも、同じ思いで海を見つめる人がいる。美保関灯台そばで「灯台ビュッフェ」を経営する美保関観光の三角邦男社長(77)は、八十回忌の2006年、地蔵崎に顕彰碑が建立された際、実行委員会事務局長として奔走した。

 それから11年。「活動を続けられる人が少なくなった」と振り返る三角さん。海の日の7月17日には、海難事故の根絶を願う安全祈願祭を昨年に続き開く予定でいる。

 同町沖では16年12月、底引き網漁船の転覆事故もあった。「事件とともに、多くの人が海の安全について考えるきっかけになれば」と願っている。

美保関事件
 1927年8月24日、松江市美保関町の地蔵崎から北東約32キロの日本海で、夜間の戦闘訓練中だった旧日本海軍の巡洋艦「神通」と駆逐艦「蕨(わらび)」が激突、避けようとした別の巡洋艦と駆逐艦も衝突した。蕨が沈没、ほかの3隻も大破し、計119人が亡くなった。

(2017年6月27日朝刊掲載)

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