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蜂谷医師「ヒロシマ日記」海外反響 記事スクラップ公開へ 放影研 8月5・6日

 1955年に原爆被害の惨状を世界に伝えた、元広島逓信病院長の蜂谷道彦さん(80年に76歳で死去)の著書「ヒロシマ日記」を巡り、当時の国際的反響を報じた新聞記事などのスクラップ帳を放射線影響研究所(放影研、広島市南区)が保管している。4冊作られたうちの1冊。施設の一般開放に合わせて8月5、6両日に初公開する。(野田華奈子)

 蜂谷さんは、爆心地から約1・4キロにあった東白島町(現中区)の自宅で被爆。急性放射線障害で苦しむ被爆者を治療する様子を記した56日間の記録を、病院の機関誌に連載した。

 米国人で、放影研の前身となる原爆傷害調査委員会(ABCC)外科顧問のワーナー・ウェルスさん(91年に77歳で死去)が出版を勧め、翻訳に協力。被爆10年後の55年8月6日、米ノースカロライナ大出版局からまず英語版が出され、その後、日本のほか英国、ドイツ、フランスなど十数カ国語に広がった。

 スクラップ帳は56年7月までに、ABCCのロバート・ホームズ所長(当時)の指示で4冊作られ、蜂谷さんや市に贈られた。放影研の1冊は縦51センチ、横41センチ、厚さ6センチで、米国内の英字新聞に載った書評記事や本をPRする広告が切り貼りしてある。「米国の人々が広島のこの上なき真実の物語を読め、うれしい」とつづる、米空軍大佐から蜂谷さん宛ての手紙もある。

 ウェルスさんが寄せたヒロシマ日記の序文には「人道性を高めなければ、私たちは滅びる」とあり、被爆の実態を広く伝えることに前向きだった様子がうかがえる。放影研はスクラップ帳の修復作業をする中で、貴重な資料に触れてもらおうと公開することを決めた。当日は、蜂谷さんが放影研に寄贈した各国語のヒロシマ日記も展示する。

 広島大原爆放射線医科学研究所付属被ばく資料調査解析部の久保田明子助教(アーカイブズ学)は「スクラップ帳からは当時のABCCが蜂谷さんとの関わりを記録に残そうとした意思が伝わる。研究活動だけではなく、広島の社会と手をつなごうとした側面もあるのではないか」と話している。

(2017年6月29日朝刊掲載)

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