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連載・特集

[Peaceあすへのバトン] 広島市立大3年 山田英里香さん

北の大地で知った原爆

 都市化した街並みの真ん中に平和記念公園がある広島市。こんなに身近に平和について考える場所があるのが、北海道出身の私には不思議でもあり、この街にひかれた理由です。自分も原爆の悲惨さを伝えたいと思い、大学進学を機に広島に来ました。平和活動サークル「S2(エスツー)」で活動しています。

 S2では毎年8月6日、若者と平和記念公園内の碑を説明しながら巡るツアーをしています。被爆アオギリや韓国人原爆犠牲者慰霊碑などを、1時間半かけて案内します。話す内容は自分たちで調べて決めるのですが、中でも慈仙寺跡に立つ被爆した墓石は、自分にとって特に印象深い碑です。

 墓石の立つ地面が周りより1段下がっているのは被爆当時のままだから。公園は盛り土して造られたので周囲の方が高くなりました。その土の上に自分たちは立っています。原爆で亡くなった人の骨がまだ眠っているかもしれないと思うと、原爆の苦しみが足元から伝わってくるかのよう。ガイドする時もそう想像するよう呼び掛けています。

 被爆体験を初めて聞いたのは小学6年の時。札幌市の「北海道ノーモア・ヒバクシャ会館」であった公開講座に自分で申し込み、被爆した女性の証言と被爆当時の写真に触れました。しかし「え?」と思うにとどまりました。あまりに強烈な内容に事実を受け止めきれなかったのです。

 それが、修学旅行で初めて広島を訪れた中学3年の時は違いました。平和記念公園を巡りながら、亡くなった父の体験を話す被爆2世の女性の話を聞き、一人涙が止まりませんでした。

 原爆が「人ごと」のような北海道では、広島のような平和教育がありません。被爆地に来て、こんなにつらい思いをした人がいるのかと身にしみました。「被爆」という言葉は同じでも、そのつらさは人によって違います。原爆についてもっと学びたい―。高校2年の修学旅行でも広島を訪れ、意志は固まりました。

 大学選びのためにインターネットを見ていた時、S2のことを知り、同年代と平和の大切さを考える活動に、やる気を覚えました。このサークルに入ろうと思ったのが、広島市立大を志望する動機になりました。

 修学旅行で来た大阪府の小学6年生と碑巡りした時は、弟や妹のような子に事実を正確に伝える難しさを感じました。今後は会員制交流サイト(SNS)を使って発信し、平和に関心の低い人を巻き込んでいくのが目標。卒業後も広島に残り、仕事しながらでもボランティアでガイドを続けるつもりです。(文・山本祐司、写真・福井宏史)

やまだ・えりか
 北海道余市町出身。15年小樽桜陽高卒、広島市立大国際学部入学。サークル「S2」で平和活動に関わり、ゼミでも平和構築・紛争解決を学ぶ。西区在住。ことしの8月6日の碑巡りはS2のホームページから申し込む。https://hcusmilesmile.amebaownd.com/

(2017年7月10日朝刊掲載)

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